熊本県

南鶴遺跡

みなみつるいせき

所在地熊本県阿蘇郡南阿蘇村吉田字南鶴外部リンクGooglemap

主な時代古墳時代

南鶴遺跡(みなみつるいせき)は、阿蘇(あそ)カルデラの中にいとなまれた弥生時代(やよいじだい)の終わりごろの、地域の中心になる大きなムラです。阿蘇カルデラの中を流れる白川(しらかわ)にそったカルデラ底が幅(はば)2kmほどにせまくなる地点、阿蘇五岳(あそごがく)のすそ野の上に100軒(けん)をこえる建物がたつ、大きなムラがありました。今は、ムラの大部分が盛り土で守られ、その上に田んぼがつくられています。
南鶴遺跡(みなみつるいせき)では、住居(たて穴建物)の跡(あと)から、住居をすてる時に埋められた銅鏡(どうきょう)、工具・農具を中心とした鉄器(てっき)なども数多く発見されました。なにより一番めだつのは、九州(きゅうしゅう)各地の土器(どき)が集まっていることです。大分(おおいた)の土器(どき)は大野川(おおのがわ)をたどり、宮崎(みやざき)の土器(どき)は五ヶ瀬川(ごかせがわ)をのぼって、熊本(くまもと)の土器(どき)は白川(しらかわ)にそって、それぞれ阿蘇(あそ)カルデラにきたのでしょう。弥生時代(やよいじだい)には、山岳地帯(さんがくちたい)でも人やもの移動がさかんだったことがわかるのです。

青文字の用語の解説は、用語集ページ

戻る
error: コンテンツは保護されています
ページトップへ戻る