大矢遺跡(おおやいせき)は、有明海(ありあけかい)の一番南、本渡瀬戸(ほんどせと)の入り口にある、縄文時代(じょうもんじだい)の初めから中ごろのムラです。広瀬川河口(ひろせがわかこう)の砂丘(さきゅう)の上には、縄文土器(じょうもんどき)が順序(じゅんじょ)よく積(つ)みかさなっています。
大矢遺跡(おおやいせき)では、石の矢じりの材料となる黒曜石(こくようせき)が集められた穴(あな)や、つくりかけの石斧(いしおの)、その加工道具が発見されました。すごい!石の矢じりや石斧(いしおの)をつくった証拠(しょうこ)ですよ!
さらに、土器(どき)の縁(ふち)かざりにマムシをデザインしたり、ぐるぐる渦巻(うずま)きのスタンプ形土製品を作ったりしているので、東日本の縄文文化(じょうもんぶんか)も取りこんでいたことがわかります。さらにさらに、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)と同じタイプのつり針(ばり)も出土(しゅつど)しています。大矢遺跡(おおやいせき)の人びとは、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)や東日本にまで、海の道や山の道をズンズン進んでいたんだね。
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