熊本県

沖の原遺跡

おきのはらいせき

所在地熊本県天草市五和町二江沖ノ原外部リンクGooglemap

主な時代古墳時代

沖の原遺跡(おきのはらいせき)は、天草諸島(あまくさしょとう)の下島(しもしま)の北のはしにあり、早崎の瀬戸(はやさきのせと)をはさんで島原半島(しまばらはんとう)とむきあい、天草灘(あまくさなだ)をはさんでアジア大陸とむきあっています。縄文時代(じょうもんじだい)の初めから中ごろまでは、貝塚(かいづか)、弥生時代(やよいじだい)の初めは墓地(ぼち)、古墳時代(こふんじだい)の終わりごろは塩づくりの場と、時代ごとにいろいろな使われ方をしてきた遺跡(いせき)です。
沖の原遺跡(おきのはらいせき)の縄文時代(じょうもんじだい)の貝塚(かいづか)では、大きな魚をとるための(もり)やつり針(ばり)、磯貝(いそがい)をとる石で作ったアワビオコシなどの漁具(ぎょぐ)がたくさん発見されました。砂丘(さきゅう)に広がる墓地(ぼち)では、ちいさな壺(つぼ)をそなえた墓(はか)、背骨(せぼね)に矢が刺(さ)さった人骨(じんこつ)が発見され、弥生時代(やよいじだい)のはじまるようすが西北九州(せいほくきゅうしゅう)と同じだったことがわかります。古墳時代(こふんじだい)には、海水を煮(に)つめて塩をつくった土器(どき)が数多く出土し、「天草式製塩土器(あまくさしきせいえんどき)」と名付けられました。

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