縄文時代(じょうもんじだい)の初めごろ、草創期(そうそうき)のムラです。住居(たて穴建物)14軒(けん)、集石遺構(しゅうせきいこう)4基(き)、炉(ろ)2基(き)、土坑(どこう)23基(き)がみつかりました。住居(たて穴建物)のなかには炉(ろ)があって、なかには石組みの炉(ろ)をもつものもあります。また、竪穴の外側に柱がたつなど、人が定住生活(ていじゅうせいかつ)を始めたころの住居の形がわかりました。さらに、矢じりにつける棒(ぼう)の部分をつくるのに使われる矢柄研磨器(やがらけんまき)が、九州で初めてみつかっています。矢柄研磨器(やがらけんまき)は住居群の南側で集中して出土し、近くからはヤリ先につける石器(せっき)、石の矢じりやその未完成品、石器(せっき)をつくる時にでる石のカケラなどが出土しました。このような出土品(しゅつどひん)から、住居群の南側は、ヤリや弓矢などの道具を作る場所であったと考えられます。
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出土した石器群
出土した土器
集石遺構(しゅうせきいこう)
現在の様子 | 現在は、農道整備事業(のうどうせいびじぎょう)により、発掘調査(はっくつちょうさ)の後にけずりとられていますが、遺跡(いせき)の一部は、緑地帯(りょくちたい)として埋(う)め戻(もど)され、保存(ほぞん)されています |
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