縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)、台地(だいち)の上につくられたムラです。直径100mの範囲(はんい)に、地面をすり鉢(ばち)のようにほったり、道路や盛土遺構(もりどいこう)をつくるなど、大規模(だいきぼ)な土木工事(どぼくこうじ)が行われました。ムラは、すり鉢(ばち)のようにほられた広場を中心に、住居(たて穴建物)や倉庫(そうこ ほったて柱建物)が配置(はいち)されており、倉庫(そうこ ほったて柱建物)は広場を円形にかこむように建(た)てられていました。建物群の外側には土坑(どこう 穴)があり、そのなかから焼けて炭(すみ)になったドングリがみつかっています。穴のなかにドングリを貯(た)めていたようです。中央の広場には、大きな石が置(お)かれ、祭りがおこなわれていたと考えられています。このような特徴(とくちょう)をもつムラは、関東地方の縄文時代(じょうもんじだい)で確認されています。本野原遺跡(もとのばるいせき)は、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)に東日本から西日本へとさまざまな文化が伝わるなかで、ムラの作り方にも東日本の影響があったことがよくわかる遺跡(いせき)です。
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遠景
指宿式土器
上空から見た遺跡(いせき)
現在の様子 | 現在、遺跡(いせき)は埋(う)め戻(もど)されており、案内板があります |
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