宮崎県

大島畠田遺跡

おおしまはたけだいせき

所在地宮崎県都城市金田町外部リンクGooglemap

主な時代平安時代

大島畠田遺跡は、都城盆地のほぼ中央、大淀川と庄内川の合流地点右岸に形成された微高地(標高約133m)上に立地します。平安時代の有力者の屋敷跡がほぼ完全な形で調査されたことで、遺跡は保存され、平成14年に国の史跡に指定されました。34棟の掘立柱建物が検出されましたが、その中でも注目されるのは、2間×5間の身舎と4面庇、更にその外側に縁もしくは軒先を支える柱と思われる小柱穴が廻る建物で、身舎で計測すると11.9m×5.6m(面積66.75㎡)、最も外側の小柱穴では20.3m×14.3m(面積290.29㎡)と非常に大型となります。大型建物の南に8mの位置には方形の池が設けられており、その中央の中島には1間四方の小型建物がありました。高床式の信仰の対象となる建物と推定されます。屋敷地の南側には区画のための溝と四脚門があります。その南側には、大淀川の方向(西)へ延びる道状遺構があり、川を利用した物資の運搬が想定されます。現在は、大型建物や池が復元され、歴史公園となっています。

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現在の様子現在は、歴史公園(れきしこうえん)として復元整備(ふくげんせいび)されています
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