宮崎県

下北方塚原 第2遺跡

しもきたかたつかばるだい2いせき

所在地宮崎県宮崎市下北方町塚原外部リンクGooglemap

主な時代奈良時代~平安時代

下北方塚原第2遺跡は、大淀川下流の左岸、宮崎市街地の北西部に広がる標高約20~30mの下北方台地上に立地します。付近では古代の瓦が採集されるなど、古代寺院や官衙関連遺構の存在が想定されていました。発掘調査では大型の掘立柱建物2棟が検出されました。いずれも大型で方形もしくは円形の柱掘方をもち、桁行が10mを超えるものでした。2棟の建物は軸方向を揃え、南北に並んでいました。南側の建物を中心に瓦が出土し、瓦葺建物であったことが分かりました。このうち軒丸瓦は、日向国府跡に隣接する西都市上妻遺跡や大分県大分市の金剛宝戒寺の出土瓦と同笵(同じ型で作られた)と考えられたこと、建物に伴う溝から灯明皿として使われた土師器坏が多数出土したことなどから、この建物は古代寺院であった可能性が高いと思われます。しかし、瓦の製作年代は奈良時代前半、建物の年代は出土した土師器などから平安時代前半と考えられ、その年代差には未だ謎が残されています。

青文字の用語の解説は、用語集ページ

現在の様子遺跡(いせき)は、公民館(こうみんかん)の建設によって部分的(ぶぶんてき)に消滅(しょうめつ)しましたが、一部の遺構(いこう)は地中(ちちゅう)に保存(ほぞん)されています
戻る
error: コンテンツは保護されています
ページトップへ戻る