壱岐(いき)の島の中央部、長崎県(ながさきけん)で2番目に広い深江田原平野(ふかえたばるへいや)にあり、約100haもの広さをもつ弥生時代(やよいじだい)の大きな遺跡(いせき)です。大正時代(たいしょうじだい)に発見されてから、これまで数多くの発掘調査(はっくつちょうさ)が行われてきました。台地のまわりを3つの環濠(かんごう)がめぐる大規模(だいきぼ)なムラであることがわかりました。また、高度な土木技術(どぼくぎじゅつ)によって作られた、東アジアでは最古(さいこ)といわれている船着(ふなつ)き場の跡(あと)もみつかっています。これまでに出土(しゅつど)した遺物(いぶつ)の中には、中国大陸(たいりく)や朝鮮半島(ちょうせんはんとう)からもちこまれた土器(どき)や金属器(きんぞくき)なども多くふくまれています。中国の歴史書(れきししょ)『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)」に書かれた「一支国(いきのくに)」の都にあたる重要(じゅうよう)な遺跡(いせき)として、2000年には国の特別史跡(しせき)に指定(してい)され、現在も発掘調査(はっくつちょうさ)が続けられています。
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遺跡遠景
遺跡近景
出土した遺物