大村平野(おおむらへいや)の中央部で、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)のから後期(こうき)にかけていとなまれた、約20haの広さをもつ大きなムラです。1980年に発見され、その後約10年にわたり発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、2ケ所の墓地(ぼち)とムラの跡(あと)がみつかっています。墓地(ぼち)には、おもに甕棺(かめかん)と箱式石棺(はこしきせっかん)があり、同じ墓地(ぼち)に異(こと)なる墓(はか)が作られていることが特色(とくしょく)です。また、副葬品(ふくそうひん)として3つの甕棺(かめかん)から鉄剣(てっけん)や鉄戈(てっか)が発見されており、有力者(ゆうりょくしゃ)の墓(はか)だと考えられます。出土(しゅつど)した土器(どき)は2つのタイプがあり、ふだんの生活に使う甕(かめ)や壺(つぼ)は地元(じもと)でつくられたものが多く、墓(はか)で棺(ひつぎ)に使う甕(かめ)は、おもに北部九州の土器(どき)が用いられていることがわかっています。
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遺構実測図
遺構写真
出土鉄器