遺跡(いせき)は、駅館川(やっかんがわ)にそった台地(だいち)の上にあり、6基(き)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)を中心として、まわりに約120基(き)の円墳(えんぷん)や周溝墓(しゅうこうぼ)が集まった、大分県(おおいたけん)でいちばん大きい古墳群(こふんぐん)です。古墳時代前期(こふんじだいぜんき)から後期(こうき)の間に、同じ地域(ちいき)に古墳(こふん)がつくられ続けており、宇佐平野(うさへいや)を支配(しはい)していた有力者(ゆうりょくしゃ)たちの墓(はか)だと考えられています。なかでも、前期(ぜんき)の初めごろにつくられた、九州でいちばん古い前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と考えられている赤塚古墳(あかつかこふん/全長57.5m)からは、奈良県(ならけん)や福岡県(ふくおかけん)などの古墳(こふん)から出土(しゅつど)した銅鏡(どうきょう)と同じ鋳型(いがた)で作られた銅鏡(どうきょう)が出土(しゅつど)しており、ヤマト政権(せいけん)との深い関係(かんけい)をしめしています。また、前期(ぜんき)の終わりごろにつくられた免ケ平古墳(めんがひらこふん)は、全長約50mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、割竹(わりたけ)形の木棺(もっかん)に銅鏡(どうきょう)、刀・剣(けん)、ヒスイのまが玉などが入れられていました。
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赤塚古墳(あかつかこふん)
鶴見古墳(つるみこふん)
免ヶ平古墳(めんがひらここふん)
現在の様子 | 現在、遺跡(いせき)の隣(となり)にある「大分県立歴史博物館(おおいたけんりつれきしはくぶつかん)」には、赤塚古墳(あかつかこふん)や免ケ平古墳(めんがひらここふん)から出土(しゅつど)した遺物(いぶつ)の一部を展示(てんじ)しています |
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