丹生(にゅう)台地の先につくられた、全長116mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。4世紀終わりから5世紀の初めごろにつくられました。古墳(こふん)の墳丘(ふんきゅう)は3段につくられ、横から見ると階段のようになっています。その段の上には、埴輪(はにわ)が並べられ、表面は丸くて白い石英(せきえい)のふき石でおおわれていました。後円部(こうえんぶ)の頂上(ちょうじょう)に2つの石棺(せっかん)がみつかっています。2つともひどく盗掘(とうくつ)されていましたが、土の中から鉄(てつ)のよろいや刀の破片(はへん)、まが玉、くだ玉、ガラス製(せい)の小玉(こだま)などが出土(しゅつど)しました。海を意識(いしき)した場所の選び方や、古墳(こふん)の規模(きぼ)などから、海部(あまべ)地域(ちいき)を治めた海部民(あまべのたみ)の首長(しゅちょう)の墓(はか)だと考えられます。
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遠景
後円部のようす
海部古墳資料館
現在の様子 | 現在、古墳(こふん)は復元(ふくげん)され、隣接(りんせつ)する「大分市海部古墳資料館」に、出土(しゅつど)した埴輪(はにわ)などが展示(てんじ)されています |
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