石垣島の東海岸にある、約27000年前の旧石器時代(きゅうせっきじだい)から約300年前の江戸時代(えどじだい)までの洞穴(どうけつ)遺跡(いせき)で、「南ぬ島石垣空港(ぱいぬしまいしがきくうこう)」をつくる時にみつかりました。これまで八重山諸島(やえやましょとう)では、今から約4000年前の下田原(しもたばる)期(縄文時代(じょうもんじだい)後期と同じ頃)をいちばん古い文化としていましたが、白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)の発掘調査(はっくつちょうさ)により、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人骨(じんこつ)の破片(はへん)が約1100点、約20人分も出土(しゅつど)しており、当時の石垣島(いしがきじま)に人類がうつり住んでいたことがわかりました。中でも約27000年前の4号人骨(じんこつ)は、人体の形をたもった状態で発掘(はっくつ)されたことから、洞穴(どうけつ)が旧石器時代(きゅうせっきじだい)の墓地(ぼち)として利用された、国内で初めての例となりました。その他、約9000年前の土器(どき)や石器(せっき)、食べるために石器(せっき)で解体(かいたい)した傷(きず)が残るイノシシの骨(ほね)、約4000年前の土器(どき)や石器(せっき)、牙(きば)製品、崖葬墓(がいそうぼ)、約500年前の炉(ろ)の跡(あと)や中国・タイ産陶磁器(とうじき)、土器(どき)などが確認(かくにん)されています。
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遠景
出土した人骨(3号)
発掘調査のようす
現在の様子 | 遺跡(いせき)の一部は、空港内に保存(ほぞん)されています |
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