下田原貝塚(しもたばるかいづか)は、波照間島(はてるまじま)の北海岸、標高(ひょうこう)3~9mのところにある、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)と同じころのムラです。発掘調査(はっくつちょうさ)の結果、柱穴(ちゅうけつ)や炉(ろ)の跡(あと)、溝(みぞ)とともに、牛の角のような突起(とっき)をつけた下田原式土器(しもたばるしきどき)や、刃の付け方や形に特徴(とくちょう)のある石器(せっき)、貝・骨製品(ほねせいひん)など、八重山諸島(やえやましょとう)に多く見られるものが出土(しゅつど)しています。その年代は、科学的な分析により約3,800年前だとわかりました。この波照間島(はてるまじま)には、石の種類は琉球石灰岩(りゅうきゅうせっかいがん)しかありませんが、下田原貝塚(しもたばるかいづか)から出土(しゅつど)する石器(せっき)は、緑色片岩(りょくしょくへんがん)や砂岩(さがん)など、島には存在(そんざい)しない石で作られており、土器(どき)をつくる粘土の中にも、石英(せきえい)や片岩(へんがん)などが混ぜられています。これらは、石垣島(いしがきじま)や西表島(いりおもてじま)から持ちこまれた可能性(かのうせい)が高く、当時から周辺の島々とさかんに行き来していたことがわかっています。
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溝状遺構のようす
おもな出土品
土器の出土状況
現在の様子 | 現在は、畑や原野(げんや)の状態で保存(ほぞん)されており、見学は自由です |
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