この遺跡(いせき)は、与那国島(よなぐにじま)の北海岸、トゥグル浜の砂丘にせっする標高(ひょうこう)約5mの琉球石灰岩(りゅうきゅうせっかいがん)の上にありました。空港が建設される場所に遺跡(いせき)があったことから、工事の前に発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれました。調査(ちょうさ)の結果、はっきりとした生活の跡(あと)は確認(かくにん)されていませんが、黒い土が部分的に広がるのと、かたい食べ物をすりつぶす時の台となる石皿(いしざら)が置かれた状態で数カ所みつかっており、これが遺跡(いせき)でくらした人たちの生活の場所と考えられています。出土品(しゅつどひん)は石器(せっき)、骨製品(ほねせいひん)、貝製品(かいせいひん)などの人が作ったものとともに、貝がらや魚・イノシシの骨(ほね)などがみつかっています。土器(どき)の出土(しゅつど)はありませんでしたが、年代を調べたところ縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)と同じころとわかりました。
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遠景
設置された石皿
発掘調査のようす
現在の様子 | 現在は、与那国空港(よなぐにくうこう)の 敷地内(しきちない)にあるため、見学できません |
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