佐賀県(さがけん)の東の端(はし)にある古代(こだい)の山城(やまじろ)の跡(あと)で、標高(ひょうこう)405mの基山(きやま)の山の上に作られています。山の上からは、北の玄界灘(げんかいなだ)、南の有明海(ありあけかい)が見えます。
城(しろ)は、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の百済(くだら)から逃(に)げてきた人たちの指導(しどう)により、大陸(たいりく)からの敵(てき)の侵入(しんにゅう)をふせぐため、665年に作られたことが記録(きろく)に残っています。
基肄城(きいじょう)には、長さ3.9㎞の土塁(どるい)や水門(すいもん)などが残っており、武器(ぶき)や食糧(しょくりょう)などを保管(ほかん)していたと考えられる建物(たてもの)の土台(どだい)となる礎石(そせき)群(ぐん)もたくさんみつかっています。基肄城(きいじょう)は、大宰府(だざいふ)の南側にあり、大野城(おのじょう)や水城(みずき)などとともに、そのころの九州(きゅうしゅう)の政治(せいじ)の中心であった大宰府(だざいふ)を武力(ぶりょく)で守るための重要(じゅうよう)な施設(しせつ)であったと考えられます。
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