佐賀市(さがし)にある、古代(こだい)の山城(やまじろ)の跡(あと)です。神がいる場所を意味する「神籠石(こうごいし)」という名前で呼(よ)ばれていますが、それは昔(むかし)の学者がつけた名前で、いまでは古代の山城(やまじろ)のひとつだということがわかっています。標高(ひょうこう)175mの帯隈山(おびくまやま)の山の上に作られており、佐賀平野をみわたせる場所にあります。門の跡(あと)や水門(すいもん)の跡(あと)のほかに、切石(きりいし)をならべた列石(れっせき)が約2.4㎞にわたって続いており、列石(れっせき)のうしろには土塁(どるい)が作られています。
敵(てき)の侵入(しんにゅう)をふせぐため、7世紀ごろに作られたと考えられますが、基肄城跡(きいじょうあと)などとちがうのは,記録(きろく)がないことや、規模(きぼ)が小さいこと、建物(たてもの)の跡(あと)がみつかっていないことなどです。作られた理由や目的(もくてき)については、まだ多くの謎(なぞ)が残(のこ)っています。
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