佐賀平野にある縄文時代(じょうもんじだい)の終わり頃から弥生時代前期(やよいじだいぜんき)の墓地(ぼち)です。朝鮮半島(ちょうせんはんとう)に多くみられる支石墓(しせきぼ)という墓(はか)が118基(き)もみつかっており、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)からやって来た人が残した墓(はか)と考えられています。また、墓(はか)に副葬(ふくそう)されていた、赤く塗られた壺(つぼ)は、朝鮮半島によくある土器(どき)で、稲(いね)の籾(もみ)が付着したあとが土器(どき)に残っているので、この地に米作りが伝わっていたことがわかります。また、古墳時代(こふんじだい)後半の12基(き)の古墳(こふん)もあり、鉄器(てっき)や玉類などが多く出土(しゅつど)しました。
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調査風景
移築後
弥生土器
現在の様子 | 遺跡(いせき)は、九州横断道(きゅうしゅうおうだんどう)をつくるために、発掘調査(はっくつちょうさ)をした後、場所を移されました。現在は、長崎自動車道(ながさきじどうしゃどう)上り線の金立(きんりゅう)サービスエリアの公園内で、元通りに復元(ふくげん)されています |
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