愛媛大学(えひめだいがく)城北キャンパスに広がる文京遺跡(ぶんきょういせき)では、弥生時代(やよいじだい)の中期(ちゅうき)後半から後期(こうき)前半(1世紀)と、古墳時代(こふんじだい)のムラがみつかっています。最近の調査(ちょうさ)では、縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)の畑の跡(あと)が発見されました。弥生時代(やよいじだい)には、大量の土器(どき)や石器(せっき)に加えて、中国製の銅鏡(どうきょう)のカケラ、鉄の斧(おの)や矢じり、石製の指輪(ゆびわ)などが出土(しゅつど)しています。また、南九州の弥生土器(やよいどき)や、朝鮮(ちょうせん)半島の土器(どき)など、他の地域(ちいき)の土器(どき)が出土(しゅつど)することから、活発な交流があったことがわかっています。また、東西8.5~9m×南北9.5m以上、柱の直径40㎝の超(ちょう)大型建物群が発見されました。周辺(しゅうへん)には、100軒(けん)をこす住居(たてあな建物)や、貯蔵(ちょぞう)用の穴蔵(あなぐら)、倉庫(そうこ ほったて柱建物)が重なりあってみつかっています。これらのことから、弥生時代(やよいじだい)の文京遺跡(ぶんきょういせき)は、地域の中心となる大規模(だいきぼ)なムラとして、瀬戸内(せとうち)西部の中でも飛びぬけた存在として注目されています。
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文京遺跡16次調査全景重なり合う遺構群
文京遺跡7次調査大型掘立柱建物
文京遺跡16次調査大量に出土する弥生土器