阿方遺跡(あがたいせき)は、今治(いまばり)平野の北部の低地に位置しています。戦前、明治大学の杉原荘介(すぎはらそうすけ)先生らによって発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、弥生時代(やよいじだい)の貝塚遺跡(かいづかいせき)として、全国的に知られるようになりました。また、ここで出土(しゅつど)した土器(どき)は「阿方式土器(あがたしきどき)」とよばれ、四国の弥生時代(やよいじだい)の前期(ぜんき)のモデルになりました。その後、平成(へいせい)時代に入り、道路(どうろ)をつくる工事にともない発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、弥生時代(やよいじだい)の土器(どき)・石器(せっき)・骨角器(こっかくき)・木器(もっき)などの道具類のほか、シカやイノシシなどの骨(ほね)が大量に出土(しゅつど)しました。また、南側の古い川のほとりに作られた水辺の施設(しせつ)には、杭(くい)の列、トチやドングリのアク抜きをするための水さらし場などがみつかりました。なかでも、丸太をくりぬいて作った水を流す施設(しせつ)は、全国でも例のない珍しいものです。こうした調査(ちょうさ)の結果から、まわりに田んぼが作られていたと考えられます。
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阿方式土器
阿方遺跡木樋状遺構
阿方遺跡遺物出土状況