愛媛県

興野々寺山遺跡

おきののてらやまいせき

所在地愛媛県北宇和郡鬼北町大字興野々1727-1、1730-1外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代

興野々寺山遺跡(おきののてらやまいせき)は、下流で四万十川(しまんとがわ)と合流する広見川(ひろみがわ)の左岸に位置しています。この遺跡(いせき)は、弥生時代後期(やよいじだいこうき)の環濠(かんごう)をともなうムラで、環濠(かんごう)と思われる溝(みぞ)2本と、一辺が3mほどの小型(こがた)の住居(たて穴建物)群がみつかっています。出土(しゅつど)した土器(どき)は、高知県(こうちけん)で出土(しゅつど)する土器(どき)と共通しています。石器(せっき)は、磨石(すりいし)や叩き石(たたきいし)、石皿(いしさら)などはありますが、米づくりにともなう道具類がとても少ないという特徴(とくちょう)があります。米づくりにたよらない生活をしていたようです。

写真提供:鬼北町教育委員会

青文字の用語の解説は、用語集ページ

  • 全景

    全景

  •  現地説明会のようす

    現地説明会のようす

  • 出土した土器

    出土した土器

現在の様子現地は整備(せいび)され、たて穴住居が復元(ふくげん)されています
戻る
error: コンテンツは保護されています
ページトップへ戻る