石手川(いしてがわ)の左岸には、弥生時代後期(やよいじだいこうき)から古墳時代前期(こふんじだいぜんき)の遺跡(いせき)が集中する樽味天山遺跡群(たるみてんざんいせきぐん)が広がっています。その中心にあるのが、樽味四反地遺跡(たるみしたんじいせき)です。この遺跡(いせき)では、古墳時代前期(こふんじだいぜんき)のとても大きなほったて柱建物が3棟(とう)がみつかりました。いずれも、床の下にも柱がならんで床をささえる総柱構造(そうばしらこうぞう)の高床(たかゆか)建物です。もっとも大きな建物は、床面積が160㎡をこえ、建物のまわりには 庇(ひさし)があります。さらに、建物の中央には、屋根を支える大きな柱がありました。これらの特徴(とくちょう)から、この建物は松山平野(まつやまへいや)をまとめていた大首長の住まい、もしくはもっとも重要な施設(しせつ)で、だから一般のムラとははなれた所に建てられたと考えられます。
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樽味四反地遺跡2号大型建物
樽味四反地遺跡1号大型建物
樽味四反地遺跡大型建物復元図宮本長二郎作成・松山市考古館提供
現在の様子 | 現在は、道路・宅地になっています。 |
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