弥生時代(やよいじだい)の中期(ちゅうき)・後期(こうき)のムラです。住居(たて穴建物)、倉庫(そうこ ほったて柱建物)と共に、ムラのなかに作られた墓地(ぼち)には土壙墓(どこうぼ)、土器棺墓(どきかんぼ)、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、集石墓(しゅうせきぼ)が作られています。集石墓(しゅうせきぼ)は、地面に穴(あな)をほり、木棺(もっかん)を入れた後、その上に土と石をまぜた土を交互(こうご)に盛(も)り上げ、表面を積み石でおおい、真ん中に大きな石を1つおいた円形の墳丘墓(ふんきゅうぼ)です。なかには、突出部(とっしゅつぶ)をもっているので、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の元の形のように思えるものもあります。よく似た墓(はか)が、香川県(かがわけん)や徳島県(とくしまけん)にもあるので、古墳時代(こふんじだい)の初めごろに徳島県(とくしまけん)や香川県(かがわけん)に特徴的(とくちょうてき)な積石塚(つみいしづか)の起源(きげん)とする見方もあります。注目されるのは、集石墓(しゅうせきぼ)が弥生時代(やよいじだい)の中ごろから作られていることと、その作りが朝鮮半島(ちょうせんはんとう)南部の支石墓(しせきぼ)と似ている点です。集石墓(しゅうせきぼ)は香川(かがわ)、徳島(とくしま)の2つの県にしかないことから、その始まりを朝鮮半島(ちょうせんはんとう)南部の支石墓(しせきぼ)に求めることができるかもしれません。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
集石墓
墳丘下部の墓壙
墳丘下部の墓壙