古墳時代中期前半(こふんじだいちゅうきぜんはん)の、四国でいちばん大きな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。全長139mの墳丘(ふんきゅう)は3段で、バランスのとれた形になるように、正確につくられています。山のふもとの地形をけずって平らにし、墳丘(ふんきゅう)のまわりに濠(ほり)をほり、ほったりけずったりした土を墳丘(ふんきゅう)をつくるのに使っています。こういう古墳の作り方や、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の形は、関西の大きい前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と同じです。
これより前の香川県(かがわけん)の古墳(こふん)は、香川県(かがわけん)ならではの特徴(とくちょう)が弱まってきたのですが、富田茶臼山古墳(とみだちゃうすやまこふん)には、そうした特徴(とくちょう)は見られなくなりました。そして、これ以後、香川県(かがわけん)の西部以外の地域には、大きな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)はつくられなくなります。ヤマト政権の支配が強まって、地元の力が抑えられたのでしょうか。しかし、富田茶臼山古墳(とみたちゃうすやまこふん)は、ヤマト政権の影響(えいきょう)を強くうけた四国最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)ですが、その埋葬施設(まいそうしせつ)は石棺(せっかん)とも言われています。それは、香川型(かがわがた)か、九州型(きゅうしゅうがた)か、近畿型(きんきがた)<長持形(ながもちがた)>でしょうか。ここに葬(ほうむ)られた人は、いったいどんな人物だったのでしょうね。
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富田茶臼山古墳墳丘南側
富田茶臼山古墳墳丘北側
富田茶臼山古墳墳頂部