刈谷我野遺跡(かりやがのいせき)は、縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)のムラです。遺跡(いせき)の目の前には、物部(ものべ)川が流れ、まわりは山にかこまれています。また、日当たりもよく、今でも住みやすそうな場所です。狩(か)りに使う石の矢じりの他に、ドングリを割(わ)ったり粉(こな)にする時に使う磨石(すりいし)や石皿(いしざら)が多くみつかっていることが、この遺跡(いせき)の特徴(とくちょう)です。このころの人びとは、1年を通して同じ場所に住むのではなく、季節ごとに食べ物を求めて移動(いどう)しながら生活していたようで、刈谷我野遺跡(かりやがのいせき)はドングリをひろうことができる秋にくらしたムラです。厚(あつ)さが2㎝もある土器(どき)や、押型文(おしがたもん)とよばれる三角形や波形(なみがた)のもようが押しつけられた土器(どき)がみつかっています。これらの土器(どき)や石器(せっき)には、九州の影響(えいきょう)がみられます。
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上から見た遺跡
縄文時代の石器
縄文土器
現在の様子 | 現在は私有地のため、見学できません |
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