青森県の太平洋側(たいへいようがわ)にある、古墳時代(こふんじだい)から平安時代(へいあんじだい)にかけての遺跡(いせき)です。そのうち、7世紀から9世紀にかけてつくられた古墳群(こふんぐん)があり、100基(き)をこえる古墳(こふん)が見つかっています。
東北地方の北部から北海道の石狩平野(いしかりへいや)にかけての地域(ちいき)では、末期古墳(まっきこふん)や北海道式古墳(ほっかいどうしきこふん)などとよばれる独特(どくとく)の小さな古墳(こふん)がつくられます。これらの古墳(こふん)は、古墳時代(こふんじだい)のヤマト政権(せいけん)や奈良・平安時代の国家に入っていない蝦夷(えみし)と呼(よ)ばれた地元(じもと)の人々の墓(はか)と考えられています。そのうち、阿光坊古墳群(あこうぼうこふんぐん)は規模(きぼ)が非常に大きく、古墳(こふん)がつくられた期間が長く、副葬品(ふくそうひん)の内容も豊かで、末期古墳(まっきこふん)の代表的な古墳群(こふんぐん)です。
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復元された古墳群
発掘風景
おいらせ阿光坊古墳館