弘前市(ひろさきし)の北部、岩木山(いわきさん)のふもとの近くある、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)から弥生時代前期(やよいじだいぜんき)にかけてのムラと田んぼの跡(あと)です。とくに田んぼは、現在のところ本州で最も北でみつかったものです。田んぼのあとが見つかったことにより、北部九州に米づくりが伝わってから、短い期間に本州の北の端(はし)まで米づくりが伝わったことがわかりました。数多くの土器(どき)や石器(せっき)が出土(しゅつど)していますが、縄文時代(じょうもんじだい)の土器(どき)に似た土器(どき)も多く、弥生時代(やよいじだい)になっても縄文文化(じょうもんぶんか)の伝統(でんとう)が残っていることがわかります。
遺跡(いせき)は、江戸(えど)時代につくられたため池にあるため、ふだんは見ることはできませんが、秋の終わりごろになると池の水が少なくなって、遺跡(いせき)が姿(すがた)をあらわします。日本列島で米づくりがはじまった頃(ころ)の文化を知るうえで、とても大切です。
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遠景
出土土偶
見つかった水田跡