尾瀬(おぜ)から流れる伊南川(いながわ)の流域にある、縄文時代(じょうもんじだい)の終わりから弥生時代(やよいじだい)にかけての遺跡(いせき)です。縄文時代の終わり頃の住居(たて穴建物)の跡(あと)から、黒曜石(こくようせき)やオパール、頁岩(けつがん)のカケラが入れられた土器(どき)が出土(しゅつど)しました。黒曜石(こくようせき)の産地をしらべたら、伊豆(いず)の神津島(こうづじま)でとれた黒曜石(こくようせき)だということがわかり、当時の人々の交易(こうえき)の範囲(はんい)の広さをたしかめることのできる発見となりました。縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)のお墓(はか)と思われる穴(あな)からは、滑石(かっせき)製の小玉が172個、出土(しゅつど)しました。
また、弥生時代(やよいじだい)の住居(たて穴建物)の跡(あと)3軒(けん)と再葬墓(さいそうぼ)13基(き)が発見されています。再葬墓(さいそうぼ)とは、埋葬(まいそう)してしばらくして、骨(ほね)をほりだして、ふたたび埋葬(まいそう)した墓(はか)です。住居跡(あと)と再葬墓(さいそうぼ)が同じ場所でみつかるのは、とても珍しいものです。
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発掘調査の様子
見つかった再葬墓
現在の様子
現在の様子 | 遺跡(いせき)は保存(ほぞん)され、近くにある会津只見考古館(あいづただみこうこかん)でその出土品(しゅつど)を見学することができます |
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