川ぞいの細長い台地の上につくられた、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)のムラです。焼けた住居(たて穴建物)の跡の発掘調査(はっくつちょうさ)によって、建物の屋根の上には土がのせられていたことや、建物の柱などにはクリの木が多く使われていたことがわかりました。遺跡(いせき)の中央付近には、いろいろな形にならべられた石が、輪(わ)のように置かれた「配石遺構(はいせきいこう)」が残されています。矢じりなどの石器(せっき)の材料には、遺跡(いせき)の近くでとれる珪化木(けいかぼく/木や植物の化石)のほか、秋田(あきた)方面から運ばれたと考えられる珪質頁岩(けいしつけつがん)が利用されました。また、矢じりを矢柄(やがら)に付けるのには、日本海(にほんかい)側から運ばれたと考えられる天然のアスファルトが接着剤(せっちゃくざい)として使われていました。遺跡(いせき)だけでなく、まわりの自然も保存(ほぞん)されているため、自然豊かな縄文時代(じょうもんじだい)のムラの風景(ふうけい)を見ることができる遺跡(いせき)です。
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復元されたムラのようす
縄文時代に旅する子どもたち
配石遺構
現在の様子 | 現在は、「御所野縄文公園」として整備され、敷地内には博物館もあります。季節ごとの自然の変化とともに、縄文時代(じょうもんじだい)のムラの風景を体感できます |
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