岩手県

樺山遺跡

かばやまいせき

所在地岩手県北上市稲瀬町大谷地外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代

北上川(きたかみがわ)を見おろす丘にある縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)のムラと墓地(ぼち)です。墓地(ぼち)は丘のふもとにあり、30以上の配石遺構(はいせきいこう)がみつかりました。配石遺構(はいせきいこう)は、大きな川原石(かわらいし)をいろいろな形においたもので、配石(はいせき)の下からは土坑(どこう)がみつかるものもあり、墓(はか)だと考えられています。丘(おか)の上に作られた住居(たて穴建物)の多くは、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の前半、ふもとの配石遺構(はいせきいこう)は後半のものです。また、丘(おか)の上の住居群(じゅうきょぐん)の東側からは、中期(ちゅうき)の中頃の甕棺(かめかん)とよばれる大型の土器(どき)を棺(ひつぎ)として埋(う)めたものがみつかっています。これらは、作られた時代がそれぞれ数百年違(ちが)うことから、樺山(かばやま)のムラは長い間さかえ、終わりの頃に配石遺構(はいせきいこう)が作られたようです。
東北地方の他の遺跡(いせき)では、配石遺構(はいせきいこう)は縄文時代(じょうもんじだい)終わりごろになってから作られることが多く、樺山遺跡(かばやまいせき)は配石遺構(はいせきいこう)の例としては古いものです。配石遺構(はいせきいこう)が作られはじめた頃の様子を考えるうえで、重要(じゅうよう)な遺跡(いせき)の一つです。

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  • 復元された住居群

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  • 発掘された配石遺構群

    発掘された配石遺構群

  • 樺山歴史の広場

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