弥生時代後期(やよいじだいこうき)にいとなまれていた田んぼが、津波(つなみ)によって海から運ばれた砂におおわれて、使われなくなった遺跡(いせき)です。当時の海岸線から2.5kmのところに位置しています。田んぼは、畦(あぜ)で区画(くかく)を作り、田の面を平らにして、水を浅く入れてイネを育てます。弥生時代(やよいじだい)の田んぼの多くは、区画(くかく)の面積が現代と比べると小さいものです。この田んぼの1つの区画(くかく)の面積は、16~30㎡です。津波(つなみ)の堆積物(たいせきぶつ)は、田んぼをおおった状態で発見されました。
周辺(しゅうへん)の遺跡(いせき)の調査(ちょうさ)では、この津波(つなみ)が大きな地震(じしん)にともなうことや、同じように土砂(どしゃ)におおわれて、使われなくなった田んぼの跡(あと)が広がっていることもわかりました。それらの田んぼは元通りにされておらず、その後、ムラがとだえることから、震災(しんさい)で、人々の生活がもっと陸の方に中心をうつしたと考えられています。ここに田んぼをつくるムラがもどってくるのは、約400年後の古墳時代(こふんじだい)になってからです。
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遠景
地震による地割れ跡
弥生時代の水田
現在の様子 | 現在は、見学できません。 |
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