宮城県

大木囲貝塚

だいぎがこいかいづか

所在地宮城郡七ヶ浜町東宮浜字大木 ほか外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代

丘(おか)の上につくられた縄文時代(じょうもんじだい)の貝塚(かいづか)です。塩釜(しおがま)港の出入り口の、海に突(つ)き出た丘(おか)の上にあります。丘(おか)の上に住まいをかまえ、しゃ面に貝がらやごみなどをすてていたようです。大きさは東西210m、南北260mもの広さをもち、深い所だと、5mほどの貝がらが積もっています。松島湾(まつしまわん)の沿岸(えんがん)には、およそ70か所の貝塚(かいづか)がありますが、そのなかでも大木囲貝塚(だいぎがこいかいづか)は、里浜貝塚(さとはまかいづか)と並んで、1番大きな貝塚(かいづか)です。
深く積もった貝がらの中から、一緒にたくさんの土器(どき)や石器(せっき)、骨角器(こっかくき)などが見つかりました。貝塚(かいづか)は、縄文時代(じょうもんじだい)の前期(ぜんき)から中期(ちゅうき)の人びとが使い続けていたようで、使われた土器(どき)の形やもようのうつり変わりが明らかにされた遺跡(いせき)でもあります。そのため、東北地方で当時使われていた縄文土器(じょうもんどき)の一つとして「大木式(だいぎしき)」という名前がつけられています。

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  • 上空から見た大木田貝塚

    上空から見た大木田貝塚

  • 発見された土器

    発見された土器

  • 厚くつもった貝層のようす

    厚くつもった貝層のようす

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