丘(おか)の上につくられた古墳時代(こふんじだい)の大きなムラです。古墳時代(こふんじだい)になると、日本の各地に古墳(こふん)がつくられるようになります。その一方で、日本列島の北方や南方の地域(ちいき)では、古墳(こふん)はつくられませんでした。入の沢遺跡(いりのさわいせき)は、古墳(こふん)がつくられる地域(ちいき)とつくられない地域(ちいき)の境界(きょうかい)につくられました。丘(おか)の頂上には、40軒(けん)以上もの住居(たて穴建物)の跡(あと)が見つかっています。ある建物からは、ふつうは古墳(こふん)におそなえされる銅鏡(どうきょう)や、石でつくられたアクセサリーなどが数百点も出てきました。この量は、建物の跡(あと)から出てきた例としては全国でもっとも多く、東北地方では古墳(こふん)をふくめても、もっとも多い量です。
また、建物がある丘(おか)のまわりには、大きな濠(ほり)がつくられていました。濠(ほり)は幅(はば)4m、深さは1.5mあり、長さは330mもあります。戦いに備えてつくられたのでしょうか。古墳(こふん)をつくる人びとと、つくらなかった人びとの関係がうかがえます。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
上から見た入の沢遺跡
多くの遺物がみつかった建物あと
発見された鏡