奈良時代、聖武天皇は、天平13(741)年に、仏教の教えを広めて争いや災害のない平和な国家を作るために国分寺建立の詔を発した。陸奥国の国分寺は、それによって60数か国の国々が造った国分寺・国分尼寺のなかで、最も北に位置する。昭和30年代前半の発掘調査で、中枢伽藍の建物配置が明らかとなった。
南大門・中門・金堂・講堂・僧房が南から北へ一直線に並び、両側に経蔵・鐘楼、金堂の東方に七重塔が一基ある。この七重塔は格式が高く、回廊をめぐらせて塔院を形成している。
発掘調査はその後も継続的に行なわれてきており、陸奥国分寺は、創建瓦の研究から、陸奥国分尼寺とともに、750年代前半には完成していたと推定される。
遺跡は、宮城県中部の仙台市(地下鉄東西線の「薬師堂駅」から徒歩7分)にあり、護国山医王院国分寺の境内も含まれる。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ