宮城県

黄金山産金遺跡

こがねやまさんきんいせき

所在地宮城県遠田郡涌谷町涌谷字黄金山 ほか外部リンクGooglemap

主な時代奈良時代

奈良時代、聖武天皇は、天平15年年(743)に、国家の平穏を願って大仏造立の詔を発した。仏教を信仰する民衆の力も借りて進められた大仏の製作は、高さが15mもあるので、下から順に頭部まで8回に分けて銅で鋳造して形を作った後、鍍金をして仕上げる。その鍍金に用いる金は、陸奥国での長年の探索によって、日本列島で初めて黄金山産金遺跡の周辺で発見され、陸奥国守百済王敬福が天平21年(749)3月に朝廷へ献上している。
砂金は最初に頭部の鍍金に用いられて、天平勝宝4年(752)に東大寺で大仏の開眼供養を迎えることができた。黄金山産金遺跡の発掘調査では、瓦葺きで礎石立ちの円堂が一棟見つかっており、産金との関連性が考えられている。
遺跡は、宮城県北部の涌谷町にあり、黄金山神社の境内も含まれる。隣接して、この遺跡の調査成果を展示している「わくや万葉の里 天平ろまん館」があり、砂金採り体験もできる。

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