この遺跡(いせき)は、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の後半と、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の終わりごろからから縄文時代(じょうもんじだい)のはじめごろにかけて残されたムラであり、いろいろな石器(せっき)が出土(しゅつど)しました。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)から縄文時代(じょうもんじだい)のはじめごろの石器(せっき)には、狩(か)りの道具である石ヤリや小さなナイフのように使った、いろいろな形のナイフ形石器(せっき)に加え、あらたに木を切りたおすのに使われたと思われる、刃の部分だけが磨(みが)かれた石おのが登場(とうじょう)します。縄文時代(じょうもんじだい)の始まるころには、土器(どき)を使った煮炊(にた)きも始まりましたが、この遺跡(いせき)では土器(どき)はみつかっていません。とても寒い時期が終わろうとするころ、大きな石ヤリと石おのを持った人々は、まだ移動(いどう)生活を送っていたのですが、つぎの段階(だんかい)の日向洞窟遺跡(ひなたどうくついせき)をへて、やがて家を建(た)てて定住(ていじゅう)し、土器(どき)で煮炊(にた)きするという新しい生活のしかたを取り入れた縄文時代(じょうもんじだい)へと変化していきます。
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遠景
局部磨製石斧出土状況
出土した尖頭器
現在の様子 | 現在は、酒田市(さかたし)の指定史跡(しせき)となっていて、説明看板が設置(せっち)されています |
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