小山崎遺跡(こやまざきいせき)は、日本海の海岸(かいがん)ちかくにそびえる鳥海山(ちょうかいざん)のふもとにある縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)の終わりごろから晩期(ばんき)の初めごろまで、約3800年も長く続いたムラです。遺跡(いせき)の広さは東西300m、南北150mで、面積は約5万㎡あります。貝塚(かいづか)もみつかっています。貝塚(かいづか)では、ヤマトシジミの貝がらがもっとも多く出土(しゅつど)したほか、スズキ、マダイ、サケなどの魚や、ニホンアシカ、クジラ類(るい)なども食べていたことがわかりました。サケの骨(ほね)は残りにくいのですが、遺跡(いせき)で出土(しゅつど)した人骨(じんこつ)を調べたところ、このムラの人々は、サケをたくさん食べていたことがわかりました。また、イヌを飼(か)い、シカ、イノシシ、ツキノワグマ、タヌキなどの陸上のほ乳類(にゅうるい)を弓矢などでつかまえて食べていたことも、出土(しゅつど)した動物の骨(ほね)からわかります。出土(しゅつど)した植物の種や実から、ドングリやクリ、クルミ、トチなどの固(かた)い実をひろい集め、カボチャに似(に)たもの、ゴボウに似(に)たもの、アサ、ヒエなどを育てていたことがわかりました。家をたてる材料になる木材(もくざい)や木器(もっき)、漆器(しっき)、木製(もくせい)の生活道具、容器(ようき)、漆器(しっき)などを作っていたようです。これらのことから、小山崎(こやまざき)ムラの縄文人(じょうもじん)が、日本海(にほんかい)で魚や貝、ときにアシカやクジラなどをとり、川ではサケをとり、陸ではイヌを飼(か)ってシカやイノシシなどの狩(か)りをし、森の木で木製品(もくせいひん)を作り、水辺(みずべ)ではドングリなどの加工(かこう)をし、生活にやくだつ植物を育てるという、ゆたかな生活をおくっていたことがわかりました。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
捨て場で発見された動物などの骨(縄文時代後期)
斜面で見つかった、たて穴建物の跡
縄文時代前期の貝塚のようす
現在の様子 | 現地には説明板があり、見学できます |
---|