生石2遺跡(おいし2いせき)は、弥生時代前期(やよいじだいぜんき)のムラです。日本列島(れっとう)でいち早く米づくりを始めた北部九州のいちばん古い弥生土器(やよいどき)の影響(えいきょう)を受けた土器(どき)と、地元(じもと)の縄文土器(じょうもんどき)の流れをくむ土器(どき)、さらにその両方がまざりあったような土器(どき)がいっしょに出土(しゅつど)して、この3種類の土器(どき)が、同時に存在(そんざい)していたことが、この遺跡(いせき)でわかりました(「うちのお宝ベスト5」もみてね)。
また、やや離(はな)れた場所からは、北部九州の影響を受けた壺(つぼ)がまとまって一つの穴(あな)にうめられた再葬墓(さいそうぼ)がみつかっています。こうした再葬墓(さいそうぼ)は、中部(ちゅうぶ)・関東(かんとう)地方の縄文時代(じょうもんじだい)の伝統(でんとう)であり、西の方から米づくり以外の文化も伝わってきたことを示しています。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
全景(C区)
遠景(東から)
土器が出土した時のようす
現在の様子 | 現地は、発掘調査(はっくつちょうさ)が終わった後、圃場整備(ほじょうせいび)や道路建設、宅地造成(たくちぞうせい)などの工事が行われ、遺跡(いせき)の大部分はけずりとられました。現地に説明板はありません |
---|