福井県ふくいけん
  • 遺跡数3,566か所
  • 面 積4,191㎢
朝倉ゆめまる
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福井県(ふくいけん)は、もとは越前国(えちぜんのくに)と若狭国(わかさのくに)に分かれていました。越前国(えちぜんのくに)は、神さまがやどる山として有名な白山(はくさん)につづく山々がよこたわり、その山々の間をぬって九頭竜川(くずりゅうがわ)が日本海に流れ出ます。九頭竜川(くずりゅうがわ)が福井平野に流れ出る場所にある山の上には、北陸でもっとも大きい前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)がつくられました。また、深い山々は旧石器時代(きゅうせっきじだい)や縄文時代(じょうもんじだい)には食料がたくさんとれる大切な場所となりました。一方、若狭国(わかさのくに)は、変化に富(と)んだ海岸線が連なり、自然の地形がそのまま港となって栄えました。日本海をはさんで大陸と向きあう若狭(わかさ)地方の遺跡(いせき)では、大陸の影響(えいきょう)を受けた品も発見されています。また、若狭国(わかさのくに)は魚や貝などの海産物(かいさんぶつ)がよくとれるので、朝廷(ちょうてい)に食材を提供(ていきょう)する役目(やくめ)の「御食国(みけつくに)」のひとつでもありました。

うちのお宝 ベスト5

  • 漆(うるし)ぬりの櫛(くし)

    漆(うるし)ぬりの櫛(くし)鳥浜貝塚(とりはまかいづか) 国指定重要文化財

    縄文時代草創期(じょうもんじだいそうそうき)から前期(ぜんき)の鳥浜貝塚(とりはまかいづか)の出土品(しゅつどひん)のうち、1326点が重要文化財に指定されています。そのなかでも、(うるし)塗りの櫛(くし)は、ヤブツバキの木でつくられたもので、残っている長さは約9cm。縄文時代の高度な(うるし)の工芸技術(こうげいぎじゅつ)がよくわかります。

  • 糞石

    糞石(ふんせき)鳥浜貝塚(とりはまかいづか) 国指定重要文化財

    これは何でしょう?はい、5500年前の縄文人(じょうもんじん)のウンコの化石(かせき)、「糞石(ふんせき)」です。糞石(ふんせき)を調べると、その人が食べたもの、その人の健康状態(けんこうじょうたい)、その人がウンコをした季節やまわりにどんな植物がはえていたかなど、いろいろなことがわかる貴重(きちょう)な資料(しりょう)です。しかし、糞石(ふんせき)は残りにくいので、なかなか見つかりません。鳥浜貝塚(とりはまかいづか)では、約2000点もの糞石(ふんせき)が出土(しゅつど)して、糞石(ふんせき)の研究(けんきゅう)におおいに役立ちました。

  • 石で作った耳飾り

    石で作った耳飾り桑野遺跡(くわのいせき) 国指定重要文化財

    縄文時代(じょうもんじだい)の珍しい石製のアクセサリーです。「C」字形をした玦状耳飾(けつじょうみみかざ)りとよばれるものや、ヘラ状の垂飾(たれかざ)りです。出土した場所は、あわら市の舟津貝塚(ふなつかいづか)に近い桑野遺跡(くわのいせき)です。平野部を見下ろす丘の上から、人を埋葬(まいそう)したと考えられる墓穴(はかあな)が27基(き)がみつかり、それぞれの穴から合計85点もの石製アクセサリーが出土(しゅつど)しました。遺跡(いせき)の時代は縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)の初めごろ(7000年前)と考えられています。よく似たものは、中国やロシアの日本海沿岸(えんがん)地域(ちいき)からもみつかっており、当時、こういった地域(ちいき)と交流のあったことがわかります。

  • 井ノ向1号銅鐸(いのむかいどうたく)

    井ノ向1号銅鐸(いのむかい1ごうどうたく)坂井市春江町(さかいしはるえちょう)国指定重要文化財

    銅鐸(どうたく)は、ムラから離(はな)れた山の斜面(しゃめん)に埋(う)められることが多いのですが、この銅鐸(どうたく)は、福井平野のまんなか、いくつもの川が九頭竜川(くずりゅうがわ)に合流するあたりに、3個埋(う)められていました。いま残っているのは、1号と2号だけですが、いずれも銅鐸(どうたく)に絵を描(えが)いています。とくに1号銅鐸(どうたく)は、舟の絵を描(えが)いたとても珍(めずら)しいものです。

  • 舟形石棺(ふながたせっかん)

    舟形石棺(ふながたせっかん)山頂古墳(さんちょうこふん) 県指定文化財

    福井市の足羽山(あすわやま)の山頂古墳(さんちょうこふん)から出土(しゅつど)した石棺(せっかん)です。この石棺(せっかん)は、1883(明治16)年に継体天皇(けいたいてんのう)の石像(せきぞう)を建てる工事の時に発見されました。材質(ざいしつ)は、足羽山(あすわやま)でとれる笏谷石(しゃくだにいし)です。棺(ひつぎ)には、円文や直弧文(ちょっこもん)をえがき、石棺(せっかん)の内部には枕(まくら)が造り出され、棺(ひつぎ)の蓋(ふた)・身の内部は、赤く塗(ぬ)られていました。この石棺(せっかん)は、福井市立郷土歴史博物館に展示(てんじ)されています。

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