- 遺跡数9,169か所
- 面 積7,777㎢
静岡県(しずおかけん)には、約3万8千年前の旧石器時代(きゅうせっきじだい)の初めから古墳時代(こふんじだい)まで、とぎれなく遺跡(いせき)があります。静岡県(しずおかけん)は東西に広く、遺跡(いせき)のありかたも東と西で、違いがあります。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)と縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)は、東日本に多く西日本では少ないです。日本列島(れっとう)の東西の境目(さかいめ)にあたる静岡県(しずおかけん)では、こうした傾向がよく表れていて、西部や中部ではこの時期の遺跡(いせき)が少ないのに対して、東部では愛鷹山(あしたかやま)のふもとや箱根山(はこねやま)のふもとなどに多く広がっています。
弥生時代(やよいじだい)と古墳時代(こふんじだい)をみると、県の西部は東海地方(とうかいちほう)とつながりをもち、県の東部は関東(かんとう)地方や中部地方と深く関係してきました。このことは、遺跡(いせき)がつくられる場所や性格(せいかく)にも表れていて、たとえば米づくりの始まりは西部で古く、東部ではややおくれます。また、弥生土器(やよいどき)の形やもようをよく観察(かんさつ)すると、西部と東部ではかなり違っていることが分かるでしょう。
少し前まで、古墳の造営も米づくりと同じように、西部で早く東部ではおくれると考えられてきましたが、最近になって沼津(ぬまづ)市で、東日本では最も古い古墳(こふん)の1つとされる高尾山古墳(たかおさんこふん)が発見され、この考え方には見直しが必要になってきました。しかしその形は、西日本に多く見られる前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)ではなく、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)でした。
石のアクセサリー富士石遺跡(ふじいしいせき)
日本の旧石器時代(きゅうせきじだい)には、アクセサリーの出土例(しゅつどれい)がほとんどありません。富士石遺跡(ふじいしいせき)から出土(しゅつど)した石のアクセサリーは、その数少ない出土例(しゅつどれい)の1つで、長さ9.5㎝、幅(はば)3.5㎝、厚(あつ)さ1.5㎝の大きさです。幅(はば)の狭(せま)いほうに、ひもを通すためと考えられる穴(あな)があけられ、側面(そくめん)には刻(きざ)みが付けられています。
縄文土器(じょうもんどき)押出シ遺跡(おんだしいせき)
静岡県(しずおかけん)には、中部地方や関東(かんとう)地方のような、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の大きなムラがありません。しかし、押出シ遺跡(おんだしいせき)では33軒(けん)と、この地方としては多くの住居(たて穴建物)の跡(あと)が調査(ちょうさ)され、大量(たいりょう)の土器(どき)が出土(しゅつど)しました。時期は、中期初頭(ちゅうきしょとう)から中期末(ちゅうきまつ)におよび、土器(どき)の模様(もよう)の特徴(とくちょう)から、中部地方や関東(かんとう)地方との交流をうかがわせる貴重(きちょう)な資料(しりょう)です。