- 遺跡数27,562か所
- 面 積5,156㎢
千葉県(ちばけん)は、東京湾(わん)と太平洋に囲(かこ)まれた半島(はんとう)であり、北側の茨城県(いばらきけん)との間には、現在(げんざい)の印旛沼(いんばぬま)・手賀沼(てがぬま)・霞ヶ浦(かすみがうら)・北浦(きたうら)などが一帯(いったい)となった内海(うちうみ)が広がっていました。このように、周囲(しゅうい)を海に囲(かこ)まれた千葉県(ちばけん)には、海上交通(かいじょうこうつう)や水上交通(すいじょうこうつう)によって、さまざまな地域(ちいき)の文化がもたらされてきました。旧石器時代(きゅうせっきじだい)や縄文時代(じょうもんじだい)の石器(せっき)の材料は、北関東(きたかんとう)や長野県(ながのけん)、伊豆半島(いずはんとう)、海を渡(わた)った神津島(こうづしま)などから持ち込まれています。また、縄文時代(じょうもんじだい)には、海や川の恵みを受けた貝塚(かいづか)が数多く作られました。その数は、全国一となっています。弥生時代(やよいじだい)は、縄文時代(じょうもんじだい)から受けつがれた北関東(きたかんとう)の文化と、西日本の影響(えいきょう)を受けた南関東(みなみかんとう)の文化が存在(そんざい)する地域(ちいき)で、生活や墓(はか)の作り方にその影響をみることができます。古墳時代(こふんじだい)になると、関西(かんさい)や東海(とうかい)地方の影響(えいきょう)を受けて古墳(こふん)が出現(しゅつげん)し、7世紀代にも龍角寺岩屋古墳(りゅうかくじいわやこふん)のような大きな古墳(こふん)がつくられるなど、古墳時代(こふんじだい)を通してたくさんの古墳(こふん)が営(いとな)まれています。
クジラの骨でつくった腰飾り(こしかざり) 有吉南貝塚(ありよしみなみかいづか) 県指定有形文化財
縄文人(じょうもんじん)が、クジラのあごの骨(ほね)に細かいもようを彫(ほ)り込んで作った、腰(こし)につける飾(かざ)りだよ。住んでいた家の跡(あと)を墓(はか)にしたところから、男の人の骨(ほね)が出てきたんだけど、ちょうど腰(こし)のところからみつかったので、腰(こし)につける飾(かざ)りだってわかったんだよ。ほかにも、頭に土器(どき)をかぶっていたり、貝で作った飾(かざ)りなんかも一緒に出ているから、きっとこのムラのえらい人だったんじゃないかな。
人の頭の形をした土製品南羽鳥中岫第1遺跡(みなみはとりなかのごきだい1いせき)
縄文時代(じょうもんじだい)につくられた、目を閉じてねむったような表情(ひょうじょう)の、人の頭の形をした土製品(どせいひん)だよ。ずっと目をさまさないような表情(ひょうじょう)は、死んだ人の顔のようだね。これは、墓(はか)から出てきたんだ。でも、ほかに一緒に出てきたものは、ほとんどないし、これと同じものは、みつかっていないから、とっても珍しいものなんだよ。これは、葬式(そうしき)とかに関係したものじゃないかって考えているけど、墓の人はきっとこのムラのえらい人だったんだろうね。
石枕(いしまくら)二子塚古墳(ふたごづかこふん) 国指定重要文化財
古墳(こふん)に葬(ほうむ)られる人の頭をのせる石の枕(まくら)だよ。上面(じょうめん)は、頭を置くために丸くくぼんでいるよ。横は三段の階段(かいだん)のように作られ、外側に直弧文(ちょっこもん)と呼(よ)ばれる不思議(ふしぎ)なもようが刻(きざ)まれているね。一番下の段には6個の穴(あな)が開けられ、そこにまが玉を背中(せなか)合わせにして軸(じく)に結びつけたような、「立花(りっか)」と呼(よ)ばれる飾(かざ)りが差し込まれます。古墳時代(こふんじだい)に、王者の模様(もよう)とされる直弧文(ちょっこもん)が石枕(いしまくら)にあるのは、全国でもこの石枕(いしまくら)のみで、かなりの有力者(ゆうりょくしゃ)が埋葬(まいそう)されたようだね。