- 遺跡数8,018か所
- 面 積2,416㎢
神奈川県(かながわけん)には、旧石器時代(きゅうせっきじだい)から古墳時代(こふんじだい)の遺跡(いせき)が約7,500カ所と、全国的にみても多くあります。気候が温暖(おんだん)で、東京湾(とうきょうわん)と相模湾(さがみわん)、箱根(はこね)や丹沢(たんざわ)などの山々があり、食料が豊富(ほうふ)で住みやすい地域であったからです。旧石器時代(きゅうせっきじだい)では、南関東(みなみかんとう)地方でも古い石器(せっき)が、また全国的にいちばん古い建物の跡(あと)も発見されています。縄文時代(じょうもんじだい)は、遺跡(いせき)の数やその規模(きぼ)などから、人がたくさん集まっていた地域であったことがわかっています。弥生時代(やよいじだい)は、静岡県(しずおかけん)の西部や愛知県(あいちけん)の東部から、人々が移り住んできたことを示す土器(どき)などが出土している遺跡(いせき)もあります。古墳時代(こふんじだい)になると、3世紀後半から古墳(こふん)が作られはじめ、4世紀には相模川(さがみがわ)や鶴見川(つるみがわ)の流域に大型の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が作られるようになり、大和(やまと)地方との深い関係をあらわす銅鏡(どうきょう)などの副葬品(ふくそうひん)が発見されています。6世紀にあたる古墳時代(こふんじだい)の後期(こうき)には小さな古墳がまとまっている群集墳(ぐんしゅうふん)がみられますが、神奈川県(かながわけん)には円墳(えんぷん)のほかに、岩をトンネルのようにほって作る横穴墓(おうけつぼ)が多くあります。
くっついた石器(せっき)たち吉岡遺跡(よしおかいせき)・用田鳥居前遺跡(ようだとりいまえいせき) 県指定重要文化財
綾瀬市(あやせし)の吉岡遺跡(よしおかいせき)から出土した石器(せっき)と、約2㎞はなれた藤沢市(ふじさわし)の用田鳥居前遺跡(ようだとりいまえいせき)の石器(せっき)が、なんと、くっついた!つまり、この2つの石器(せっき)は、同じ石を割(わ)ってできた石のカケラで作られたものだった、ということです。全国的にも、めずらしい貴重(きちょう)な発見です。この発見により、旧石器時代後期(きゅうせっきじだいこうき)の人々の移動生活(どうせいかつ)の様子が見えてきました。
弥生土器(やよいどき)神崎遺跡(かんざきいせき) 県指定重要文化財
神崎遺跡(かんざきいせき)から出土(しゅつど)した、弥生時代後期(やよいじだいこうき)の土器(どき)です。出土(しゅつど)した土器(どき)のほとんどは、愛知県(あいちけん)東部や静岡県(しずおかけん)西部あたりの土器(どき)と同じ形やもようで作られています。土器をつくった粘土(ねんど)を調べてみたら、遺跡(いせき)のちかくでとれる粘土(ねんど)だったので、東海(とうかい)地方から移住(いじゅう)してきた人々がこの遺跡(いせき)へ移り住んでからつくった土器(どき)であると考えられます。
家の形をした土器子ノ神遺跡(ねのかみいせき) 厚木市指定重要文化財
厚木市(あつぎし)の子ノ神遺跡(ねのかみいせき)の弥生時代(やよいじだい)の住居(たて穴建物)の跡(あと)から出土(しゅつど)した家形土器(いえがたどき)です。家の形は、切妻造(きりづまづくり)で脚(あし)が付いていて、屋根はゴンドラ形の舟のような、めずらしい形になっています。これと似ている土器(どき)は、浜松市(はままつし)の鳥居松遺跡(とりいまついせき)などでも出土していて、当時の東海(とうかい)地方との関係を考えることができる、大変貴重(きちょう)な資料(しりょう)です。