- 遺跡数14,432か所
- 面 積5,774㎢
三重県(みえけん)は、面積5,777㎢をもつ南北に長い県です。三重県(みえけん)は、伊賀(いが)・伊勢(いせ)・志摩(しま)の3つの国と、紀伊(きい)国の一部を含(ふく)みます。東側は、伊勢湾(いせわん)や熊野灘(くまのなだ)など太平洋沿岸(たいへようえんがん)の長い海岸をもち、西側は北から南にかけて、養老山地(ようろうさんち)や鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)、布引山地(ぬのびきさんち)、紀伊山地(きいさんち)などの山々がつらなっています。古代(こだい)には、都(みやこ)から東へ向かう東海道(とうかいどう)が通り、伊勢湾(いせわん)に面した伊勢平野(いせへいや)のいちばん南の端(はし)には、天皇家(てんのうけ)の祖先(そせん)をまつる伊勢神宮(いせじんぐう)が置かれました。太平洋(たいへいよう)の海路(かいろ)では、東日本と西日本を結ぶ中間点であり、陸・海ともに東西の文化(ぶんか)の交流の中心だったといえるでしょう。海があり、山があり、気候(きこう)は温暖(おんだん)で住みよい土地であるため、古くからの多くの遺跡(いせき)が残っていますが、近ごろ注目すべきは、縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)です。粥見井尻遺跡(かゆみいじりいせき)で縄文時代草創期(じょうもんじだいそうそうき)にさかのぼる、日本でもっとも古い土偶(どぐう)が出土(しゅつど)したのをはじめ、森添遺跡(もりぞえいせき)では、晩期(ばんき)に水銀朱(すいぎんしゅ)を生産(せいさん)し、それをとりひきの品として、各地との交流が栄(さか)えました。また、北部九州(ほくぶきゅうしゅう)に伝わった米づくりの文化が、弥生時代前期(やよいじだいぜんき)のうちに伊勢湾沿岸(いせわんえんがん)まで広まったことを示す弥生遺跡(やよいいせき)も数多くあります。
船形埴輪(ふながたはにわ)宝塚1号墳(たからづか1ごうふん) 国指定重要文化財
ふたつの台座(だいざ)をともなう大型品で、全長140㎝、台座(だいざ)をふくめた高さは94㎝で、高さでは日本最大(さいだい)となります。この埴輪(はにわ)を特徴(とくちょう)づけるのが、船の上のみごとな飾(かざ)りです。大刀(たち)やヤリの鞘(さや)の装飾品(そうしょくひん)、蓋(きぬがさ・貴人が立てかけられる日傘)などが所狭(ところせま)しと並んでいます。船形埴輪(ふながたはにわ)でこれほど多くの飾(かざ)りをともなうものは他に例がなく、多くの情報(じょうほう)を積みこんだ船形埴輪(ふながたはにわ)といえるでしょう。
横櫛(よこぐし)六大A遺跡(ろくだいAいせき)
女性の髪(かみ)を飾(かざ)り、また髪(かみ)を漉(す)く道具が櫛(くし)です。櫛(くし)には、縄文時代(じょうもんじだい)から存在(そんざい)する竪櫛(たてぐし)と、古墳時代(こふんじだい)から登場(とうじょう)する横櫛(よこぐし)がありますが、この櫛(くし)は、ツゲで作られた横櫛(よこぐし)としては、日本最古(さいこ)の4世紀ごろのものです。櫛(くし)の歯は鋸(のこぎり)によって挽(ひ)き出されており、本例を作るにあたっては渡来系(とらいけい)の進んだ技術(ぎじゅつ)が使われたとみられています。