- 遺跡数8,123か所
- 面 積7,410㎢
熊本県(くまもとけん)には、大陸との交流が活発(かっぱつ)だったことを示す遺跡(いせき)たちがいっぱいです。縄文時代(じょうもんじだい)から、土器(どき)が朝鮮半島(ちょうせんはんとう)にわたり、弥生時代(やよいじだい)には中国・朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の鉄(てつ)の文化が伝わり、古墳時代(こふんじだい)には、墓をいろどる東アジアの装飾古墳(そうしょくこふん)文化が栄えました。熊本の文化は、どの時代にも大陸の影響(えいきょう)を受けながら、独自(どくじ)のスタイルをつくりあげています。
熊本県(くまもとけん)独特(どくとく)の縄文土器(じょうもんどき)の形やもようのうつりかわりは、貝塚(かいづか)に積みかさなっています。熊本独特の免田式土器(めんだしきどき)とよばれる弥生時代(やよいじだい)の壺(つぼ)は、沖縄(おきなわ)から壱岐(いき)まで、広い範囲に運ばれています。装飾古墳(そうしょくこふん)には、ともに旅する舟と馬がえがかれており、遠方との交流が活発(かっぱつ)だったことを示しています。とくに、親交の深かった朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から手にいれた品々は、お墓(はか)の副葬品(ふくそうひん)とされ、王の魂(たましい)をなぐさめました。
このように、熊本の遺跡(いせき)たちは、広い世界をのぞきみるチャンスをたくさんかかえながら、みなさんとの新しい出合いを待っています。
遺跡
免田式土器(めんだしきどき)下扇原遺跡(しもおうぎはらいせき)
免田式土器(めんだしきどき)は、そろばん玉の形の胴部(どうぶ)からスラリとのびた長い頸(くび)が特徴(とくちょう)の壺(つぼ)です。胴部(どうぶ)の上半分には、バームクーヘンのような重弧文(じゅうこもん)がいくつも横にならび、その上下を何本もの横線がデザインされています。じっと観察していると、一つだけ大きさがちがう重弧文(じゅうこもん)が見つかるでしょう。土器(どき)に重弧文(じゅうこもん)を並べてえがく時、最後の重弧文(じゅうこもん)を余ったスペースにあわせるとこうなるんだよネ。この美しい土器(どき)には、京都(きょうと)や東京(とうきょう)の国立博物館(はくぶつかん)で出合えます。
編(あ)みかご曽畑遺跡(そばたいせき)
縄文時代(じょうもんじだい)の曽畑遺跡(そばたいせき)から発見された編(あ)み物は、ドングリをためるカゴとして編(あ)みあげられています。カゴの大きさ、カゴの目の粗(あら)さ、持ち運びに使う取っ手の位置なども、編(あ)み物なら自由自在(じゆうじざい)に作れます。大人も子どもも、男も女も、作り慣(な)れた人も初めての人も、自分にあわせた道具をつくる技術(ぎじゅつ)が、縄文時代(じょうもんじだい)の曽畑遺跡(そばたいせき)にはあったようです。すごく素敵(すてき)なことだとおもいませんか?
弥生時代(やよいじだい)の鉄器(てっき)二子塚遺跡(ふたごづかいせき)
弥生時代(やよいじだい)の終わりには、刃物(はもの)の材料として、鉄が広まります。熊本(くまもと)の弥生遺跡(やよいいせき)からは、鉄の製品が山のように発見されます。矢じりなどの武器(ぶき)、鎌(かま)などの農具(のうぐ)、一番多いのはオノ・ヤリガンナ・ノミといった工具(こうぐ)です。山々の木を切りたおし、家の柱や屋根(やね)を組み、食事につかう器(うつわ)を作っていたのでしょう。熊本(くまもと)の鉄器(てっき)の一番の特徴は、職人(しょくにん)さんが使う道具が多いこと!道具を作る道具=鉄器(てっき)をつくる鍛冶屋(かじや)さんの数も、当時の日本列島(れっとう)で一番多いんですよ。
大王の名前がきざまれた鉄刀(てっとう)江田船山古墳(えたふなやまこふん) 国宝
江田船山古墳(えたふなやまこふん)には、銅鏡(どうきょう)・玉・剣(けん)と冠(かんむり)・耳かざり・履(くつ)の他、よろい・かぶと・鉄(てつ)の鉾(ほこ)・馬具(ばぐ)・須恵器(すえき)が納められていました。一つの刀(かたな)には花・馬・魚・鳥の絵と「治天下獲□□□鹵大王世奉事典曹人名无利弖八月中用大鉄釜并四尺廷刀八十練九十振三寸上好刊刀服此刀者長寿子孫洋々得□恩也不失其所統作刀者名伊太和書者張安也」の75文字が銀で象嵌(ぞうがん)されており、大刀(たち)の持(も)ち主(ぬし)の名前や、大刀(たち)の由来(ゆらい)、おめでたい言葉、そして刀をつくった職人(しょくにん)の名前がリズム感あふれる文章で書かれています。
好奇心(こうきしん)いっぱい!!考古学キッズ
熊本(くまもと)には、子どもの頃に、考古学(こうこがく)が大好きな「考古ボーイ& ガール」だった人達がたくさんいます。今は、爺(じい)さん&婆(ばあ)さんになっていますが…(笑)。学校ごとに考古学(こうこがく)クラブをつくり、毎日のように遺跡(いせき)を歩きまわって、土器(どき)や石器(せっき)を拾い、夏休みには合同合宿(ごうどうがっしゅく)で発掘(はっくつ)にチャレンジしていました。放課後(ほうかご)に整理した発掘成果(はっくつせいか)は、手書きの印刷で作った報告書(ほうこくしょ)に記録(きろく)されています。この記録(きろく)は、考古学界(こうこがっかい)でも「すばらしい!」と評判(ひょうばん)になるほど、レベルの高い内容でした。歴史ある伝統(でんとう)は、つねに新しッ!新世代(しんせだい)の考古ボーイ&ガールが登場(とうじょう)する日が楽しみです。