長崎県ながさきけん
  • 遺跡数3,804か所
  • 面 積4,131㎢
人面石くん
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長崎県(ながさきけん)は、日本の最も西側にある県で、971の島があり、島の数は全国で第1位です。そのため、陸地(りくち)はそれほど広くありませんが、海岸線の長さは北海道(ほっかいどう)に続く第2位で、海との関係が非常(ひじょう)に深い地域(ちいき)といえます。また、山が多く平野(へいや)が少ないため、大きな集落(しゅうらく)のある地域(ちいき)はわずかしかありません。ただ、古くから中国や朝鮮半島(ちょうせんはんとう)と日本を結ぶルートとして重要(じゅうよう)な場所であり、その中間にあった対馬(つしま)・壱岐(いき)では、大陸(たいりく)から運ばれた土器(どき)や青銅器(せいどうき)、鉄器(てっき)などが多数出土(しゅつど)しています。
県の北部では、旧石器時代(きゅうせっきじだい)に人々がくらしていた跡(あと)が数多くみつかっており、洞窟(どうくつ)を住まいとして利用(りよう)した遺跡(いせき)がたくさんあります。また、県の西部にある五島列島(ごとうれっとう)では、九州南部や南西諸島(なんせいしょとう)とのつながりがある墓(はか)やアクセサリーがみつかっています。県の南部の島原半島(しまばらはんとう)で出土(しゅつど)する土器(どき)は、熊本(くまもと)の土器(どき)と似ているところがあり、有明海(ありあけかい)をはさんだ交流(こうりゅう)があったことがわかります。このように、長崎県(ながさきけん)は、いろいろな地域(ちいき)との交流(こうりゅう)によって、独自(どくじ)の文化が作られてきたところといえます。

うちのお宝 ベスト5

  • 人面石(じんめんせき)

    人面石(じんめんせき)原の辻遺跡(はるのつじいせき) 国指定重要文化財

    原の辻遺跡(はるのつじいせき)の人面石(じんめんせき)は、弥生時代終末期(やよいじだいしゅうまつき)の環濠(かんごう)の中から出土(しゅつど)しました。長さは約10cm、幅(はば)は約7cmで、だ円形の形をしています。やわらかい凝灰岩(ぎょうかいがん)を人の顔の形に加工(かこう)し、口は貫通(かんつう)させ、目は大きくほりこんだ穴(あな)で表現しています。お祭りの時に使ったものであると考えられています。

  • わが国最古級の土器(どき)

    わが国最古級の土器(どき)泉福寺洞窟(せんぷくじどうくつ) 国指定重要文化財

    泉福寺洞窟(せんぷくじどうくつ)から出土した縄文土器(じょうもんどき)で、発見された当時は日本最古(さいこ)といわれていました。復元(ふくげん)した形からみると、高さは約24cm、最大径(さいだいけい)約17cmの大きさで、口の部分と胴部(どうぶ)に1cmほどの豆粒文(とうりゅうもん)というもようがつけられています。細石器(さいせっき)という旧石器時代(きゅうせっきじだい)の道具が一緒(いっしょ)にみつかり、当時は旧石器時代(きゅうせっきじだい)における土器(どき)の出現(しゅつげん)として注目されました。

  • 亀(かめ)の形のかざり金具(かなぐ)

    亀(かめ)の形のかざり金具(かなぐ)笹塚古墳(ささづかこふん) 国指定重要文化財

    横穴式石室(よこあなしきせきしつ)の前室(ぜんしつ)から、金銅製馬具類(こんどうせいばぐるい)とともに出土(しゅつど)した、亀(かめ)の形をしたかざり金具(かなぐ)です。長さは7.6cm、幅(はば)4.1cmで、甲羅(こうら)や手足には細かい細工(さいく)がされています。笹塚古墳(ささづかこふん)は、6~7世紀の円墳(えんぷん)で、3つの部屋がある大きな横穴式石室(よこあなしきせきしつ)をもちます。大陸(たいりく)と日本を結ぶ重要な場所である壱岐(いき)を治めていた首長墓(しゅちょうぼ)の1つと考えられており、亀の形のかざり金具(かなぐ)は、その証拠(しょうこ)の1つとなっています。

  • 広形銅矛(ひろがたどうほこ)

    広形銅矛(ひろがたどうほこ)塔の首遺跡(とうのくびいせき)

    塔の首遺跡(とうのくびいせき)は、弥生時代後期(やよいじだいこうき)の箱式石棺墓(はこしきせっかんぼ)群であり、3号石棺墓(せっかんぼ)から広形銅矛(ひろがたどうほこ)2点が、銅釧(どうくしろ)、くだ玉、ガラス製(せい)小玉(こだま)等とともに出土(しゅつど)しました。広形銅矛(ひろがたどうほこ)は、対馬(つしま)島内で約120本が確認(かくにん)されています。そのうち副葬品(ふくそうひん)として出土(しゅつど)したものは80本近くあり、それ以外は信仰(しんこう)の対象(たいしょう)として、神社(じんじゃ)や御堂(おどう)に伝えられていたものです。航海(こうかい)の安全を祈(いの)る祭りをおこなう道具として使われたと考えられています。

  • 多紐細文鏡(よみがな)

    多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)里田原遺跡(さとだばるいせき) 県指定有形文化財

    里田原遺跡(さとだばるいせき)の東南の端(はし)にある、弥生時代(やよいじだい)の墓地(ぼち)でみつかった、弥生時代中期初頭(やよいじだいちゅうきしょとう)の甕棺墓(かめかんぼ)に、小壺(こつぼ)といっしょに副葬(ふくそう)されていました。朝鮮半島(ちょうせんはんとう)で作られた、直径8.9cmの小形(こがた)の青銅鏡(せいどうきょう)で、完全(かんぜん)な形で出土(しゅつど)しました。紐(ひも)をとおす穴(あな)のあいたつまみが3つあるのが特徴(とくちょう)です。弥生時代(やよいじだい)の前期(ぜんき)のおわりから中期(ちゅうき)のおわりごろの首長(しゅちょう)の威信具(いしんぐ)や祭りの道具として使われたと考えられています。

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