福島県ふくしまけん
  • 遺跡数14,703か所
  • 面 積13,784㎢
いずみちゃん
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福島県(ふくしまけん)は、東北(とうほく)地方の南のはしに位置し、太平洋に面する「浜通(はまどお)り地方」、宮城県(みやぎけん)に向かって流れる川にせっする「中通(なかどお)り地方」、新潟県(にいがたけん)に向かって流れる川にせっする「会津(あいづ)地方」の3つの地方から成り立っています。
県の面積は、13,784㎢で、北海道(ほっかいどう)・岩手県(いわてけん)についで全国で3番目の広さがあります。その中に、14,484か所(2012年時点)の遺跡(いせき)が確認(かくにん)されています。
このような位置にあるためか、旧石器時代(きゅうせっきじだい)から弥生時代(やよいじだい)まで、さまざまな地方との交流があったことがわかっています。一つの遺跡(いせき)から、いろいろな地方の土器(どき)がひとまとまりで出てくることも珍しくありません。
土器(どき)は、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろまで、縄文土器(じょうもんどき)と同じような縄目(なわめ)のもようがつけられるのが普通です。しかし、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)や前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)などが作られる古墳時代(こふんじだい)になると、もようのつかない土器(どき)が突然(とつぜん)いきわたるようになります。中央(ちゅうおう)のヤマト政権(せいけん)の力が、一気(いっき)に福島県(ふくしまけん)に及(およ)んだことを意味すると考えられています。

うちのお宝 ベスト5

  • 縄文土器(じょうもんどき)

    縄文土器(じょうもんどき)法正尻遺跡(ほうしょうじりいせき) 国指定重要文化財

    磐梯山(ばんだいさん)の麓(ふもと)にある法正尻遺跡(ほうしょうじりいせき)は、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)のムラの跡(あと)です。発掘調査(はっくつちょうさ)により、住居(たて穴建物)の跡(あと)129軒(けん)、土坑(どこう)759基(き)などがみつかりました。この遺跡(いせき)からは、完全な形をしたたくさんの土器(どき)のほか、大量の石器(せっき)、ヒスイ製のアクセサリー、土偶(どぐう)などがみつかっています。残りの良い土器(どき)184点と、土製品(どせいひん)80点、石器(せっき)・石製品(いしせいひん)523点が、国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されています。

  • うでをくむ土偶(どぐう)

    うでをくむ土偶(どぐう)上岡遺跡(かみおかいせき) 国指定重要文化財

    上岡遺跡(かみおかいせき)は、摺上川(すりかみがわ)ぞいにある丘(おか)の上にある縄文後期(じゅうもんこうき)から晩期(ばんき)の遺跡です。1952年、地元の人たちが桃畑(ももばたけ)に排水(はいすい)の溝(みぞ)を作った時に遺跡(いせき)が発見され、この土偶(どぐう)が出土(しゅつど)しました。発掘調査(はっくつちょうさ)の結果、土偶(どぐう)はもともと住居(たて穴建物)の中にあったものであることがわかりました。この土偶(どぐう)は、しゃがんで腕を組むポーズをとっています。

  • 棺(ひつぎ)として作られた土器(どき)

    棺(ひつぎ)として作られた土器(どき)天神原遺跡(てんじんばらいせき) 国指定重要文化財

    楢葉町(ならはまち)の天神原遺跡(てんじんばらいせき)は、太平洋(たいへいよう)にそそぐ木戸川(きどがわ)の河口のちかくにある遺跡(いせき)です。発掘調査(はっくつちょうさ)の結果、弥生時代中期後半(やよいじだいちゅうきこうはん)の土器棺墓(どきかんぼ)と土坑墓(どこうぼ)からなる墓地(ぼち)だとわかりました。土器棺(どきかん)として出土(しゅつど)した(つぼ)と(かめ)や、副葬品(ふくそうひん)の玉類、石の矢じりなどが、国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されています。

  • 会津大塚山古墳(あいづおおつかやまこふん)の出土品(しゅつどひん)

    たった一枚の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう) 会津大塚山古墳(あいづおおつかやまこふん) 国指定重要文化財

    会津大塚山古墳(あいづおおつかやまこふん)の木棺(もっかん)の跡(あと)からは、銅鏡(どうきょう)、矢を入れる(ゆぎ)、環頭太刀(かんとうたち)、鉄の斧(おの)、碧玉(へきぎょく)でつくった紡錘車(ぼうすいしゃ)など、近畿(きんき)地方にみられるような副葬品(ふくそうひん)がたくさんみつかりました。4世紀の終わりごろには、会津地方(あいづちほう)がヤマト政権(せいけん)の影響をうけていたことを物語(ものがた)る発見でした。なかでも、三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)は、東北(とうほく)地方でたった一枚しかない例(れい)として注目されています。

  • すわっている埴輪男子(はにわだんし)

    すわっている埴輪男子(はにわだんし)神谷作101号墳(かみやさくいちまるいちごうふん) 国指定重要文化財

    1948年に行われた発掘調査(はっくつちょうさ)で出土(しゅつど)した古墳時代後期(こふんじだいこうき)の埴輪(はにわ)です。「埴輪女子像(はにわじょしぞう)」などとともに、国の重要文化財に指定されています。古墳は、最近の調査で前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)だとわかり、埴輪(はにわ)がまとまって出土(しゅつど)する部分があることもわかりました。鈴(すず)のついた冠(かんむり)をかぶり、玉かざりの大刀(たち)を下げて、あぐらをかいています。服や冠(かんむり)に描(えが)かれている三角形のもようは、近くにある中田横穴(なかたよこあな)の壁画(へきが)のもようともよく似ています。

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