- 遺跡数12,887か所
- 面 積15,275㎢
岩手県(いわてけん)には、平安時代(へいあんじだい 12世紀)の都市・平泉(ひらいずみ)と、江戸時代(えどじだい)の終わりから明治時代(めいじじだい)にかけての橋野鉄鉱山(はしのてっこうざん)という2つの世界文化遺産(せかいぶんかいさん)があります。でも、それだけではありません。岩手(いわて)では12700か所以上の遺跡(いせき)がみつかっていますが、そのうちなんと8,300か所以上が縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)です。つまり、岩手(いわて)は縄文遺跡(じょうもんいせき)の宝庫(ほうこ)なのです。太平洋沿岸の貝塚(かいづか)は大正時代(たいしょうじだい)から考古学者(こうこがくしゃ)達によって調査(ちょうさ)が行われてきました。内陸の一戸(いちのへ)町・御所野遺跡(ごしょのいせき)は、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)に約500年間つづいたムラで、「北海道・北東北(きたとうほく)の縄文遺跡群(じょうもんいせきぐん)」の一つとして、世界文化遺産(せかいぶんかいさん)への登録(とうろく)をめざしています。現地には当時の建物(たてもの)が復元(ふくげん)され、縄文時代(じょうもんじだい)の景色(けしき)をみているような体験(たいけん)ができます。そして岩手(いわて)といえば、「土偶(どぐう)」。その出土数(しゅつどすう)は、なんと日本一!縄文時代(じょうもんじだい)を語るなら、避(さ)けては通れないところ、それが岩手県(いわてけん)なのです。
鼻(はな)のまがった土面(どめん)蒔前遺跡(まくまえいせき) 国指定重要文化財
おもしろい顔ですね。土でつくられた土面(どめん)です。このような、鼻(はな)のまがった土面(どめん)は、縄文時代晩期前半(じょうもんじだいばんきぜんはん 約3000年前)に、東北地方北部の限られた地域(ちいき)でつくられました。これまでに、青森県(あおもりけん)と岩手県(いわてけん)の2つの県で5点がみつかっています。大きく曲がる鼻(はな)、波打(なみう)つような眉(まゆ)、左右アンバランスな大きさの目、すぼめるような頬(ほお)、かたむいた口など、とてもユニークな表情です。この表情が何を表すのかはわかりませんが、もしかしたら、とらえどころのない表情(ひょうじょう)こそが、土面(どめん)なのかもしれません。
土偶(どぐう)の頭萪内遺跡(しだないいせき) 国指定重要文化財
縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)の中ごろの土偶(どぐう)です。土偶(どぐう)のほとんどは女性だと言われますが、この土偶(どぐう)は、男性のように見えますね。しかし、よく見ると、この土偶(どぐう)は、顔の縁(ふち)に不自然な段(だん)があり、仮面(かめん)をかぶっているのだとわかります。頭の部分が有名になったので、頭しかないと思っている人が多いのですが、じつは腕(うで)や足も発見されており、全身(ぜんしん)の像(ぞう)が作られていたのです。頭の部分は長さ22.3㎝と、赤ん坊の頭くらいあり、壊(こわ)れていなければ全身が1m前後もあって、いま全国でいちばん大きいとされる土偶(どぐう)の2倍以上あったことになります。
遮光器土偶(しゃこうきどぐう)手代森遺跡(てしろもりいせき) 国指定重要文化財
縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)の初め、遮光器土偶(しゃこうきどぐう)とよばれる土偶(どぐう)がもっとも広まったころのものです。完全な形に復元(ふくげん)されていますが、頭、腕(うで)、胴(どう)に分かれて出土し、背中の破片(はへん)はみつかっていません。また、破片(はへん)はほぼ同じところで発見されており、「土偶(どぐう)はわざと壊(こわ)され、ばらまかれた」とする説とは違っています。全長31㎝、復元(ふくげん)前の重さは1,032g、体の内部は空洞(くうどう)になっており、表面はよく磨(みが)かれ、ベンガラで赤く塗(ぬ)られています。
巻貝(まきがい)の形をした土器(どき)近内中村遺跡(ちかないなかむらいせき)
ほんものの貝みたいでしょう?これは、土で作って焼いた土器(どき)で、全長は23.5cm、重さ366.8gあります。この土器(どき)を作ったのは、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)の縄文人(じょうもんじん)です。細かい貝の特徴(とくちょう)を正確に表現しており、その観察する力と表現する力には驚(おどろ)かされます。すぐれた芸術家(アーティスト)がいたのですね。2001年には、イギリスの大英博物館(だいえいはくぶつかん)で展示され、イギリスでも評判(ひょうばん)になりました。