◎旧石器時代(きゅうせっきじだい)は、3つの時期(じき)にわけられます。およそ260万年続きました。
700万年前に人類(じんるい)が誕生(たんじょう)してから、いろいろな種(しゅ)があらわれては絶滅(ぜつめつ)してきました。いま地球(ちきゅう)に生きている人類(じんるい)=私たちは、「ホモ・サピエンス」とよばれる、いちばん新しい1つの種(しゅ)です。
ホモ・サピエンスは20万年前ごろにアフリカに登場(とうじょう)し、10万年前ごろにアフリカをでて、ヨーロッパやアジアなど、世界中に広がりました。ちなみに、日本で人類(じんるい)が確認されたのは、およそ4万年前ごろのことです。だから、世界の人々は、肌(はだ)の色や顔つきが違(ちが)っていても、もともと同じ先祖(せんぞ)からわかれた、親戚(しんせき)のようなものです。
いまから4万年前、最初に日本列島(れっとう)に渡(わた)ってきたのは、どんな人たちだったのでしょうか?残念ながら、日本列島(れっとう)は火山が多いため骨が腐(くさ)りやすく、古い人類(じんるい)の骨があまり残っていません。しかし、沖縄県(おきなわけん)の琉球列島(りゅうきゅうれっとう)はサンゴ礁(しょう)の島なので、人骨(じんこつ)がよく残っています。
石垣島(いしがきじま)の白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、人骨(じんこつ)が約20人分もみつかって、世界的にみてもたくさんの旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人骨(じんこつ)がみつかった遺跡(いせき)として注目されています。この遺跡(いせき)でいちばん古い2万7000年前の人骨(じんこつ)は、30~40才くらいの男性で、身長(しんちょう)は165.2cm、顔つきは中国南部や東南アジアの人々に似ているそうです。縄文人(じょうもんじん)の男性の平均身長(しんちょう)は158cm、弥生人(やよいじん)は163cmですから、石垣島(いしがきじま)の人骨(じんこつ)から考えると、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人は、かなり背が高かったようですね。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)の石器(せっき)は、何かを切ったり削(けず)ったりするものがたくさんあります。石器(せっき)のほかにも、木や動物の骨、角などを削(けず)って作った道具があったと考えられていますが、木や、動物の骨や角は、何万年も土に埋(う)もれていると腐(くさ)ってなくなってしまいます。だから、あったとしても、なかなかみつからないのです。
2016年、沖縄県(おきなわけん)のサキタリ洞遺跡(さきたりどういせき)では、2万3000年前の地層(ちそう)から貝で作ったつり針(ばり)がみつかり、世界でいちばん古いつり針(ばり)として注目されました。これからも、どこかで何か、みつかるかもしれませんね。
黒曜石(こくようせき)は、火山が噴火(ふんか)した時のマグマが冷えて固(かた)まってできた天然(てんねん)のガラスです。日本列島(れっとう)は火山列島(れっとう)といわれるほど火山が多いので、黒曜石(こくようせき)がとれるところはたくさんありますが、石器(せっき)が作れるほど質(しつ)の良い黒曜石(こくようせき)がとれる産地は限られています。
驚(おどろ)くのは、本州から約50kmも沖にある東京都(とうきょうと)の神津島(こうづしま)の黒曜石(こくようせき)が、3万8000年前ごろのものとして、静岡県(しずおかけん)や関東(かんとう)地方の遺跡(いせき)から出土(しゅつど)していることです。神津島(こうづしま)は、一度も本州と陸つづきになったことがないので、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人が船をこいで、黒曜石(こくようせき)をとりに行ったと考えなくてはなりません。また、質(しつ)の良いことで有名な和田峠(わだとうげ)の産地は、標高(ひょうこう)1500mを超(こ)える険(けわ)しい山の中にあります。しかし、和田峠(わだとうげ)の黒曜石(こくようせき)は、東北地方から関東(かんとう)地方、近畿(きんき)地方の広範囲(こうはんい)にわたってたくさん発見されており、とても人気が高かったことがわかります。
いまから3万年ほど前、鹿児島県(かごしまけん)南部の姶良(あいら)カルデラが大噴火(ふんか)し、鹿児島湾(かごしまわん)ができました。この時の噴火(ふんか)は、日本列島(れっとう)の火山の噴火(ふんか)のなかでも最大級で、その火山灰(かざんばい)は、近畿(きんき)地方でも20cmほど積(つ)もっているし、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)でも確認(かくにん)されています。
ドド~ンと大きな音をたてて、山のてっぺんがものすごい勢(いきお)いで火をふいて、火砕流(かさいりゅう)が流れてきて、火山灰(かざんばい)が降(ふ)ってきて……人々は、どれほどビックリしたことでしょう。どれほど恐(おそ)ろしかったことでしょう。
日本列島(れっとう)は、火山列島(れっとう)といわれるほど火山が多いので、これほど大きな噴火(ふんか)でなくても、各地の遺跡(いせき)で火山の噴火(ふんか)で積(つ)もった火山灰(かざんばい)がみつかります。
火山灰(かざんばい)をしらべると、いつごろ、どこの火山が噴火(ふんか)した時のものかがわかるので、遺跡(いせき)の年代を考える手がかりになります。また、文字で書かれた記録(きろく)のない、大昔の災害(さいがい)やその被害(ひがい)の様子を知ることもできます。火山の噴火(ふんか)は、当時の人々にとっては大変気の毒なできごとですが、それも研究(けんきゅう)して、未来(みらい)に役立てようとしているのです。
<参考文献>町田洋、新井房夫『新編火山灰アトラス~日本列島とその周辺』東京大学出版会2003年
日本は小さな国ですが、地域(ちいき)によって、言葉や食べ物、生活のしかたや祭りに、違(ちが)いがあります。そういう地域(ちいき)による違(ちが)いは、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の石器(せっき)の作り方にもみることができます。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)の後半になると、東北(とうほく)地方、関東(かんとう)・中部地方、近畿(きんき)・中国・四国地方、九州(きゅうしゅう)地方と、それぞれ特徴(とくちょう)のある石器(せっき)を作るようになります。なかでも、近畿(きんき)・中国・四国地方では、世界的にも珍(めず)しい石器(せっき)の作り方をしていて、それらは「瀬戸内技法(せとうちぎほう)」とよばれています。
瀬戸内技法(せとうちぎほう)で作られた石器(せっき)は、佐賀県(さがけん)や山形県(やまがたけん)、新潟県(にいがたけん)でもみつかっています。この時代(じだい)にも、近畿(きんき)・中国・四国地方から、佐賀県(さがけん)や東北(とうほく)地方まで移動(いどう)した人々がいたのです。車(くるま)も道路(どうろ)も地図(ちず)もなかった時代(じだい)に、ずいぶん遠いところまで行ったのですね。