長野県

柳沢遺跡

やなぎさわいせき

所在地長野県中野市大字柳沢字屋敷添外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代

千曲川(ちくまがわ)と夜間瀬川(よませがわ)が合流する場所の堤防(ていぼう)を高くする工事現場でおこなわれた発掘調査(はっくつちょうさ)で、弥生時代中期後半(やよいじだいちゅうきこうはん)の銅戈(どうか)7本と銅鐸(どうたく)1個が穴(あな)に埋められているのが発見されました。銅戈(どうか)や銅鐸(どうたく)などの祭り用の青銅器(せいどうき)は西日本で作られ使われるもので、地中に埋(う)められた状態でみつかることが多いものです。関東より東では、祭り用の青銅器(せいどうき)が出土(しゅつど)することは珍(めずら)しく、穴(あな)を掘(ほ)って埋(う)められていたのは、初めての発見です。まわりでは、ムラの跡(あと)、墓地(ぼち)、田んぼの跡(あと)がみつかり、土器(どき)やくだ玉などが出土(しゅつど)しました。ムラでは、たて穴(あな)建物跡(あと)6軒(けん)、墓地(ぼち)では、木棺(もっかん)18基(き)がありました。シカの絵を描いた土器(どき)も出土(しゅつど)しました。シカの絵を土器(どき)にかくことも西日本に多く、西日本の文化が東へ伝わった様子がわかる遺跡(いせき)です。

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  • 遠景

    遠景

  • 出土した銅戈の集合

    出土した銅戈の集合

  • 青銅器が埋まっていたようす

    青銅器が埋まっていたようす

現在の様子現在は、千曲川(ちくまがわ)の堤防(ていぼう)の下に位置(いち)し、案内板と標柱(ひょうちゅう)が立っています。青銅器(せいどうき)をはじめ、出土品(しゅつどひん)は国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されており、「中野市立博物館」で見ることができます
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