長野県

飯田古墳群

いいだこふんぐん

所在地長野県飯田市上川路外部リンクGooglemap

主な時代古墳時代

飯田市(いいだし)には、かつて500基(き)を超(こ)える古墳(こふん)がありました。とくに長野県(ながのけん)にある前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の約半数が飯田市(いいだし)にあります。これだけ多くの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)があるということは、飯田地域(いいだちいき)がヤマト政権(せいけん)と密接(みっせつ)な関係をもっていたことを示しています。5世紀に、ヤマト政権(せいけん)は、人やモノの輸送(ゆそう)に適(てき)した馬を大陸(たいりく)から積極的(せっきょくてき)にとりいれ、飯田(いいだ)地域(ちいき)を、馬を育ててふやす中心のひとつとしました。その頃、馬は貴重なものでしたから、馬を育てることによって飯田(いいだ)の勢力(せいりょく)が栄(さか)えた結果、たくさんの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)がつくられたと考えられています。馬によって、ヤマト政権(せいけん)と強い結びつきができたことで、飯田地域(いいだちいき)には、銅鏡(どうきょう)・甲(よろい)や(かぶと)・馬具(ばぐ)など、最先端(さいせんたん)の品が入ってきました。

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  • 全景(馬背塚古墳)

    全景(馬背塚古墳)

  • 馬背塚古墳の石室

    馬背塚古墳の石室

  • 全景(二子塚古墳)

    全景(二子塚古墳)

現在の様子現在、11基の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と2基の帆立貝形古墳(ほたてがいがたこふん)が、国史跡として保存(ほぞん)されています。馬背塚古墳(ませづかこふん)をはじめ、いろいろな横穴式石室(よこあなしきせきしつ)を見学できる古墳(こふん)が多く、「飯田は古墳の博物館」といわれるほどです
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