斐太遺跡群(ひだいせきぐん)は、新潟県(にいがたけん)の南西部の高田平野(たかだへいや)のもっとも西にあり、半径約1.5㎞の範囲(はんい)にある弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)の上越市(じょうえつし)吹上遺跡(ふきあげいせき)、弥生時代後期(やよいじだいこうき)の妙高市(みょうこうし)斐太遺跡(ひだいせき)、弥生時代終末期(やよいじだいしゅうまつき)の上越市(じょうえつし)釜蓋遺跡(かまぶたいせき)からなります。
吹上遺跡(ふきあげいせき)は平地のムラで、ヒスイや緑色の石でまが玉やくだ玉(くだたま)などのアクセサリーをたくさん作っています。完成品は、長野県を中心に広い範囲(はんい)にひろまったと思われます。
斐太遺跡(ひだいせき)は、高台にある居住(きょじゅう)スペースを濠(ほり)でかこむ高地性環濠集落(こうちせいかんごうしゅうらく)で、東日本で有数の大きさを誇(ほこ)ります。釜蓋遺跡(かまぶたいせき)は平地にあるムラですが、同じく居住(きょじゅう)スペースを濠(ほり)でかこむ環濠集落(かんごうしゅうらく)です。せまい範囲(はんい)で、次々につくられる中心的なムラの場所や手工業(しゅこうぎょう)のうつりかわりなどがわかる重要(じゅうよう)な遺跡群(いせきぐん)です。
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釜蓋遺跡から見た斐太遺跡群
半埋没のたて穴建物(妙高市)
出土品(吹上遺跡)撮影:小川忠博